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草加松原・矢立橋・百代橋

(そうか まつばら やたてばし ひゃくたいばし)

日本の道100選に選ばれた美しい松並木

草加松原は、旧日光街道(現在の県道足立越谷線)の神明2丁目から旭町1丁目の南端まで、綾瀬川沿いに広がる1.5キロメートルの松並木です。この美しい松の並木は江戸時代から「千本松原」として知られ、茂っている木々がトンネルのような緑の景色を作り出し、街道の名所となっていました。

松の保護のために松原内を通っていた県道足立・越谷線の上り車線が西側に移され、遊歩道化が行われました。これにより、「日本の道100選」にも選ばれることとなり、遊歩道内には東京スカイツリーの高さに因んで634本の松並木が植えられています。遊歩道は石畳で整備されており、車道(県道)をまたぐ歩道橋として百代橋や矢立橋という跨道橋が架けられています。

草加松原公園と国指定名勝

草加松原公園の一部が「おくのほそ道の風景地 草加松原」として国の名勝に指定されました。幹回りが約2メートルにもなる古木を含む数々の松が川に沿って美しい景観を作り出し、『おくのほそ道』の時代の雰囲気を今なお伝える風景として高く評価されています。

草加宿と松尾芭蕉

草加市は江戸時代の日光街道の宿場町であり、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の旅の中で記述されています。草加松原の地域は「札場」と呼ばれ、草加宿の北に位置し、綾瀬川を利用した舟運で栄えていました。第二次世界大戦後、日光街道は一般国道4号となり、東京と東北地方を結ぶ重要な幹線道路となりました。

歴史と伝承

草加松原の松並木は、一説によれば1683年(天保3年)の綾瀬川が開削された際、関東郡代の伊奈半十郎忠篤によって植えられたと伝えられており、「千本松原」として古くから親しまれてきました。

俳人の松尾芭蕉は貞享5年(1688年)に芭蕉庵を離れ、翌年の元禄2年(1689年)に『おくのほそ道』の旅に出ました。彼は舟で千住に到着し、そこから徒歩で日光街道を北上しました。その中で草加宿も訪れ、『おくのほそ道』の作品(旅の第1日目)にも登場しています。

松並木の保護活動

戦後の高度経済成長期における自動車の急速な普及に伴う排気ガスの影響で、松並木は急速に枯れてしまい、一時は60本余りまで本数が減少しました。しかし、地域の住民たちの保存活動により、1976年(昭和51年)には「松並木保存会」が結成され、マツの植樹と手入れが行われました。

1983年(昭和58年)には遊歩道化が行われ、1985年(昭和60年)以降、埼玉シンボルロード整備事業が進められ、歴史ゾーン、イベントゾーン、シンボルゾーン、松原ゾーン、せせらぎゾーンといった水と緑が調和する5つのエリアが整備されました。

百代橋と矢立橋

百代橋の概要

百代橋は、草加のシンボルとなっている和風の太鼓型歩道橋です。この橋は草加松原の歴史的景観を保護するために建設されました。橋の長さは62.5メートルで、幅は3.5メートルです。木目調の手すりがあり、街道の雰囲気に合わせて常夜灯も備えられています。

橋の名前は松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭のフレーズ「月日は百代の過客にして・・・」(月日は二度と還らぬ旅人であり)から取られています。

矢立橋の概要

矢立橋は百代橋と対をなす木目模様の和風太鼓橋です。こちらも草加のシンボルとなっています。橋上からは東京スカイツリーの高さに因んだ634本の松並木を一望することができます。橋の長さは96.3メートルで、幅は4.14メートルで百代橋の1.5倍ほどの大きさです。

橋の名前は松尾芭蕉の『奥の細道』の一節「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 これを矢立の初めとして・・・」から取られています。

Information

名称
草加松原・矢立橋・百代橋
(そうか まつばら やたてばし ひゃくたいばし)
リンク
公式サイト
住所
埼玉県草加市草加松原遊歩道
電話番号
048-922-0151
営業時間

終日

定休日

無休

料金

無料

駐車場
なし
アクセス

東武スカイツリーライン 松原団地駅から徒歩で10分

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