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草加神社

(そうか じんしゃ)

華麗な彫刻が施された美しい建築様式の本殿

草加神社は、埼玉県草加市氷川町にある歴史ある神社です。元々は「氷川社」と呼ばれており、天正の頃(1573年から1592年)に小さな祠で祀ったのが始まりとされています。享保2年(1717年)4月16日には、正一位氷川大明神の称号が贈られました。その後、明治42年(1909年)に付近の11社を合祀し、社号を「草加神社」と改めました。

歴史の歩み

創建と初期の歴史

草加神社の創建は天正年間(1573年 - 1592年)で、武蔵國三之宮なる大宮氷川神社の御霊を分けて小祀を祭りしたのが始まりです。元々は「氷川神社」と称していました。寛永7年(1630年)には、草加宿が千住宿に次ぐ江戸・日本橋から数えて2番目の宿場として誕生しました。草加宿が整備されるとともに、草加神社は崇敬を集め、1717年(享保2年)には神祇管領長上吉田家より正一位に叙せられています。

1873年(明治6年)には近代社格制度に基づき「村社」に列せられ、1907年(明治40年)の神社合祀により、周辺の神社が合祀されました。1909年(明治42年)には「氷川神社」から「草加神社」に改称され、現在の社号となりました。

御祭神と境内の神様

草加神社の御祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)と櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の二柱の大神様です。境内には末社を含め、十四柱の神様が祀られています。

建築と彫刻の美

本殿の構造

草加神社の本殿は、間口2.27メートル、奥行き1.91メートル、向拝の出1.73メートルの一間社流造りで、妻側の中央にも柱を立てた建物です。本来、流造りの美しさは妻側にありますが、この本殿のように多彩な彫刻を配することで、建物の正面性を強調し、軒唐破風や千鳥破風を付けて正面を賑やかにしています。

彫刻とその職人芸

絵様彫刻は宝暦年間(1751年から1764年)、江戸の名匠・立川小兵衛が立川流匠家絵様集を出し、以来県内の社寺建築で賞用されました。この本殿も立川流の絵様を採用しています。建物は天保の頃の造営と伝えられていますが、周囲の石玉垣が弘化三年の建造であり、建物の手法から見ても天保年代の造営に大差ないものと考えられます。

江戸時代の華としての本殿

多彩な彫刻も職人芸であり、現代では再現が不可能に近い至芸です。このような彫刻充填式の建物は、構造をより美しくする建築本来の意味を失っていない数少ない例の一つであり、江戸時代の華ともいえる貴重な建造物です。

草加神社の現代の役割

草加神社は、草加市の総鎮守として地域の人々の信仰を集め、さまざまな行事や祭りが行われています。特に、草加松原(国指定名勝)の総鎮守として、地域の文化や伝統を守り続けています。

Information

名称
草加神社
(そうか じんしゃ)

春日部・越谷・久喜

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