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岩槻 久伊豆神社

(いわつき ひさいず じんじゃ)

岩槻の総鎮守として古くから地域の人々に親しまれてきた神社

埼玉県さいたま市岩槻区にある久伊豆神社は、岩槻の総鎮守として古くから地域の人々に親しまれてきた神社です。境内は岩槻城址の一部でもあります。大国主命を主祭神とし、その歴史は古く、自然豊かな境内は多くの参拝者を引きつけています。なお、「久伊豆神社」は当社のほかに岩槻区内に8社鎮座しています。

歴史と由緒

創建と発展

久伊豆神社は、今から約1400年前の欽明天皇の御代に、出雲族の土師(はじ)氏が東国移動の際にこの地に勧請したのが始まりとされています。平安時代中頃には、武蔵野の有力な豪族たちの崇敬を集めていました。

その後、戦国時代には相州鎌倉の扇ヶ谷上杉定正が家老太田道灌に命じて岩槻城を築城した際、城の鎮守として奉鎮されたといわれています。以後、江戸時代までの歴代城主の崇敬が厚く、特に徳川家康は江戸城の鬼門除けとして祈願しました。

社殿の沿革

岩槻城の総鎮守として、時の城主や町民より寄進された古来の社殿は、明治8年の火災で焼失してしまいました。現社殿は、その後、氏子崇敬者の誠意により再建されたものです。

社頭風致

境内のほとんどが樹木で覆われており、参道は椎の木によって緑のトンネルと化しています。参道から境内へと広がる1万坪もの緑豊かな杜と情緒あふれる静寂感が、神徳を感じさせます。境内には、神苑や昭和初期に皇室より奉納された孔雀の末裔を飼育している小屋もあります。

祭神

久伊豆神社の御祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)であり、別名は大己貴命(おおなむちのみこと)です。

境内と見どころ

自然と歴史の宝庫

久伊豆神社の境内は、埼玉県の「ふるさとの森」や「自然百選」にも選ばれており、森林に囲まれた野鳥の宝庫です。昭和13年に朝香宮殿下より孔雀3羽を奉納されたことから、孔雀は神社のシンボルとして大切に飼育されており、「救邪苦(くじゃく)」と漢字をあてたお守りもあります。

主な行事

久伊豆神社では、年間を通じて様々な行事が行われます。主な行事には以下のものがあります。

歴史的背景と重要性

創建の歴史

久伊豆神社の創建は古く、一説には約1400年前、欽明天皇の時代に土師氏が出雲から久伊豆明神(大己貴命)の分霊を勧請し、岩槻に社殿を建立したのが始まりとされています。1457年(長禄元年)、太田道灌が岩槻城を築城した際、当社を岩槻城の鎮守としました。

久伊豆神社の分布

久伊豆神社は、埼玉県の元荒川流域を中心に分布する神社です。祭神は大己貴命(大国主)であり、その分布範囲は、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致しています。加須市の玉敷神社(たましきじんじゃ)は、かつて「久伊豆明神」と称しており、久伊豆神社の総本社とされています。

社格の変遷

久伊豆神社は、1873年に村社、1923年に郷社に列格しました。神社では県社への列格を希望していましたが、県社に昇格したのは1945年10月19日でした。1875年に不審火により全ての建物が焼失し、1915年までに再建されました。

クイズ神社としての側面

「久伊豆」が「くいず」とも読めることから、「クイズ神社」とも呼ばれています。岩槻久伊豆神社は、日本テレビのクイズ番組「史上最大!第11回アメリカ横断ウルトラクイズ」(1987年)の国内第二次予選会場としても選ばれました。

Information

名称
岩槻 久伊豆神社
(いわつき ひさいず じんじゃ)

大宮・浦和・鴻巣

埼玉県