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遷喬館

(せんきょうかん)

江戸時代に岩槻藩の藩校として優秀な人材を輩出

埼玉県さいたま市岩槻区にある遷喬館は、江戸時代に藩校として教育に使われた建物です。儒学者・児玉南柯によって創設された私塾で、後に岩槻藩の藩校となり、多くの優秀な人材を輩出し、地域の文化発展に大きく貢献しました。

岩槻藩遷喬館の設立

「岩槻藩遷喬館」は、寛政11年(1799年)に岩槻藩に仕えていた儒者・児玉南柯(こだま なんか)が開いた私塾です。後に藩校となり、岩槻藩の武士の子弟が勉学や武芸の稽古に励みました。

藩校としての役割

明治4年(1871年)に藩校が廃止された後は、おおむね民家として使用されていましたが、昭和14年(1939年)に埼玉県の史跡に指定されました。平成15年(2003年)から平成18年(2006年)にかけて解体修理・復原工事を行い、現在では一般公開されています。埼玉県内では唯一現存する藩校の建物です。

遷喬館の名前の由来

遷喬館という名前は、詩経(中国最古の詩集)の「伐木」の一節「出自幽谷 遷于喬木(幽谷より出でて 喬木に遷る)」に由来しています。これは、学問を欲し友を求めることを「鳥が友を求めて深い谷から高い木に飛び移ること」にたとえたもので、学ぶ者に高い志を持つことを促す意味が込められています。

児玉南柯について

児玉南柯は、儒学者であり、岩槻藩の発展に大きく貢献した人物です。江戸時代の後半、延享3年(1746年)に甲州の豊島家で生まれ、11歳で岩槻藩士の児玉親繁(ちかしげ)の養子になりました。16歳のとき藩主大岡忠喜(ただよし)に仕え、18歳で江戸の藩邸に勤務し、以後様々な要職を歴任しました。35歳の安永9年(1780年)には南京船漂着事件の処理で名声を上げました。

その後、43歳のときに職を辞し、54歳の寛政11年(1799年)に私塾・遷喬館を開設し、岩槻藩の子弟教育に情熱を注ぎました。儒学を基盤としつつも、実学を重視しました。学問を単なる知識の習得ではなく、社会に貢献するための手段と捉えていました。

遷喬館の建物と特徴

遷喬館は、武家屋敷を利用した木造平屋建てで、茅葺屋根の構造を持っています。建物は江戸時代の姿に復元されており、吹きさらしの玄関や漆喰の壁、生徒の入口などが設けられています。

現存する唯一の藩校

遷喬館は、埼玉県内に現存する唯一の藩校であり、その歴史的価値から昭和14年(1939年)に埼玉県指定文化財(史跡)となりました。1956年には当時の所有者から土地と建物が岩槻市に寄贈され、その後昭和の改修が行われました。

復原工事と一般公開

1998年度から1999年度にかけて史跡保存管理のためのデータ収集や保存管理計画が策定され、平成15年(2003年)から平成17年(2005年)にかけて全面解体修理が実施されました。この修理では、地下の遺構に影響が及ばないように工法が検討され、発掘調査や残された木材の加工跡などを検証し、藩校当時の状態に近づけるための復元が行われました。

そして、2006年5月1日にさいたま市立岩槻郷土資料館の付属施設として開館記念式典が行われ、一般公開されることとなりました。

遷喬館の歴史

寛政11年(1799年)

児玉南柯が遷喬館を創設。このとき南柯先生は54歳でした。

文化年間(1805年〜1811年頃)

遷喬館は岩槻藩の藩校となり、藩士(武士)の子どもだけが通うようになりました。他の子どもは郷学校や寺子屋に通うようになりました。

明治4年(1871年)

廃藩置県により岩槻藩がなくなり、遷喬館も廃止されました。

明治5年(1872年)

もとの先生が個人で授業をはじめましたが、公立の岩槻郷学校(後の岩槻小学校)ができたため廃止となりました。

昭和14年(1939年)

岩槻藩遷喬館が埼玉県指定文化財(史跡)になりました。

平成18年(2006年)

解体復原修理が終わり、誰でも見学できるようになりました。

遷喬館の概要

「岩槻に過ぎたるものが二つある 児玉南柯と時の鐘」と謳われた遷喬館(せんきょうかん)の名は、中国古典の詩経「出自幽谷 遷于喬木」に由来します。遷喬館の扁額は、岩槻藩(大岡家)第5代藩主・大岡忠正の実兄にあたる八田藩第3代藩主加納久慎が大書したものです。

建物は武家屋敷を利用したもので、木造平屋建て、茅葺屋根です。15畳と9畳の教場が備えられています。寛政11年(1799年)に岩槻藩士の儒学者児玉南柯が私塾として遷喬館を開き、1805年から1811年頃に岩槻藩の藩校となり、「勤学所」と改名されました。1814年には学舎を修理し、現・遷喬館となりましたが、1869年の明治維新によって廃止されました。

昭和14年(1939年)に埼玉県の史跡に指定され、1956年には土地と建物が岩槻市に寄贈されました。1998年度から1999年度には史跡保存管理のためのデータ収集や保存管理計画が策定され、平成15年(2003年)から平成17年(2005年)にかけて全面解体修理が行われ、2006年5月1日にさいたま市立岩槻郷土資料館の付属施設として開館記念式典が行われ、一般公開されています。

Information

名称
遷喬館
(せんきょうかん)

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埼玉県