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調神社

(つき じんじゃ)

狛兎が置かれた、古くから人々に親しまれてきた神秘的な神社

埼玉県さいたま市浦和区にある調神社は、鳥居のない神社として有名で、古くから人々に親しまれてきた歴史ある神社です。別名「調宮(つきのみや)」とも呼ばれ、「ツキ」という社名により月待信仰(月のもつ神秘に畏敬をなし、月の出を待って祈る信仰)が古くからあり、狛犬ではなく狛ウサギがある神社として知られています。

神域は約1万2千平方メートル、鬱蒼と生い茂った樹齢数百年のイチョウやケヤキ、ムクなどが見事な鎮守の杜を形成しており、江戸末期の建築にかかる権現造の社殿が、悠久の時を超えて静かに建っています。

祭神

調神社の祭神は次の3柱です。

祭神に関する伝説として、調神社に古くから伝わる「七不思議」の一つに「松が無いこと」があります。これは、姉神である天照大神と弟神である素盞嗚尊の伝説に関連しています。弟神が大宮に行ってしまい、姉神が待ち続けても帰ってこなかったため、もう待つことを嫌ったという話です。

他にも、文献によれば、祭神を瀬織津比咩とする説や、調玉命、月読命、日の神・倉稲荷玉命、天照大神・宇賀御玉神とする説もあります。

歴史

創建

調神社の創建については、寛文8年(1668年)の『調宮縁起』によれば、第9代開化天皇の乙酉年3月に奉幣の社として創建されたと伝えられています。また、第10代崇神天皇の時には、伊勢神宮斎主の倭姫命が当地を選び、伊勢神宮に献上する調物(貢ぎ物・御調物)を納める倉を建て、関東一円の初穂米・調の集積所と定めたとされています。

宝亀2年(771年)には、勅使として藤原朝臣常恣が奉幣を行い、これが現在の例大祭の起源となっています。『式内社調査報告』などによると、社名に「調」が見えることから、朝廷への調物を納める御倉が調神社の前身と考えられています。

中世から江戸時代

調神社は、中世から月待信仰と結びつき、月読社とも呼ばれていました。延元2年/建武4年(1337年)には、足利尊氏の命で一色範行による社殿の復興がありましたが、天正18年(1590年)には小田原征伐に伴う兵火で焼失しました。

江戸時代には、徳川家光から朱印地7石が寄進され、別当寺の月山寺が兼帯しました。『江戸名所図会』にも登載され、文人墨客も多く参詣しました。

明治以降

明治維新後、調神社は明治6年(1873年)に近代社格制度において郷社に列し、明治31年(1898年)には県社に昇格しました。現在の社殿は安政5年(1858年)に造営され、本殿と拝殿が一体となった権現造です。

境内の見どころ

調神社の境内には多くの見どころがあります。

祭事

調神社では年間を通じて様々な祭事が行われます。

文化財

調神社には多くの文化財があります。以下に代表的なものを紹介します。

七不思議

調神社には次の七不思議が伝わっています。

調神社は、豊かな歴史と文化を持ち、地域の人々に愛され続けている神社です。多くの祭事や伝説、七不思議があり、訪れる人々に様々な魅力を提供しています。自然豊かな境内で歴史を感じながら、静かなひとときを過ごすことができます。

Information

名称
調神社
(つき じんじゃ)

大宮・浦和・鴻巣

埼玉県