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深谷ねぎ

(ふかや)

白身の部分が長くて太く、柔らかくて甘みが多いのが特徴

県北部の深谷市周辺で、明治時代から栽培されている深谷ねぎは全国的に有名。利根川流域の栄養分豊かな土地と、冬場の日照時間が月200時間を越えるという自然条件により、品質の良い美味しいねぎが生産される。深谷ねぎは白身の部分が長くて太く、そして柔らかくて甘みが多い。季節を問わず通年収穫されるが、特に12月頃から出荷が始まる「秋冬ねぎ」は甘みが強い。「重さがあり」「表面が滑らかでみずみずしく」「巻きがしっかりしていて」「白い部分が多く、緑と白の境がくっきりしているもの」が美味しいとされる。

深谷ねぎは、埼玉県深谷市を中心に栽培されている根深ネギの総称です。深谷市は日本一のネギの生産量を誇り、深谷ねぎは全国的なネギのブランドとして広く知られています。

深谷ねぎとは、深谷地方で育てられた様々な品種のネギを指す呼称で、主に根深ネギ・千住群に属します。品種は多様で、深谷市外でも同名で販売されることがあります。このため、深谷市では「少し贅沢深谷ねぎ」という商標を登録し、特に品質の優れたものにロゴが付けられています。これらの高品質な深谷ねぎは、一部の高級スーパーに供給されています。

深谷ねぎの特徴は、繊維が細かく柔らかいこと、高い糖度と甘さ、長い白い部分と美しい白さなどです。特に、糖度は10〜15度と言われ、果物の中でもミカンなどと匹敵するほどです。冬の季節には特に甘味が増すため、すき焼きなどにおいては砂糖を加えないで調理されることもあります。

歴史

深谷ねぎの歴史は明治時代にさかのぼります。この地域では幕末から明治初期にかけて藍の栽培が盛んで、また蚕の養殖も盛んでした。特に養蚕は隆盛で、昭和初期には農地の約64%が桑畑で覆われていました。深谷ねぎは、明治30年頃に藍の価格が急落し、新しい作物としての本格的な栽培が始まりました。しかし、この地域の土壌は肥沃であるものの粘度が高く、深谷ねぎの成長には土を盛り上げる必要があり、耕作には力が必要でした。そのため、一部の家族は深谷市南部に移住することもありました。

大正初期には、ネギの相場が暴落しました。その際、八基村(現在の深谷市八基)の農業指導者である渋沢治太郎は、深谷ねぎの商標を北海道や東北地方向けに付けて出荷するよう、深谷町の乾物問屋・永徳屋商店に依頼しました。これが深谷ねぎの名称の起源とされています。その後、1929年の世界恐慌による繭価の急落を受けて、耕地の転換が進み、深谷ねぎの大規模な生産が始まりました。

産地

埼玉県北部はかつて、利根川の氾濫がしばしば起こる地域でした。深谷市内には「西島」「内ヶ島」「血洗島」といった「島」のつく地名があり、これらはかつての利根川の氾濫によってできた微高地を指します。しかしこの氾濫によって、この地域は肥沃な土壌が形成されました。この沃土は粘度が高く硬い特徴を持ち、また水はけが良く、ネギの栽培に適していました。古代から、この地域では肥沃な土壌を利用して瓦造りが行われてきました。

深谷市内における深谷ねぎの主要な産地は北部(利根川・小山川流域)と中南部(櫛挽台地)の2つに分かれます。特に深谷市北部で生産される深谷ねぎは、その美味しさで知られています。一方で、深谷市中南部でも多くのネギが栽培され、北部にも引けを取らない量の生産が行われています。

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名称
深谷ねぎ
(ふかや)

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