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越谷郷 久伊豆神社

(こしがやごう ひさいず じんじゃ)

葵紋の使用が特別に許可された徳川将軍ゆかりの神社

久伊豆神社は、埼玉県越谷市越ヶ谷にある神社であり、越谷の総鎮守とされています。旧社格は郷社であり、宮内庁埼玉鴨場と共に市の「環境保全地域」に指定されています。越谷市内には当社のほかに7社の「久伊豆神社」が鎮座しています。

歴史

久伊豆神社の創建は鎌倉時代とされています。神紋は立葵で、これは近くに徳川将軍家が鷹狩などを行う越ヶ谷御殿があったことから、葵紋の使用が特別に許可されたものです。境内には、国学者・平田篤胤の仮寓跡とされる松声庵があり、境内の藤は県指定の天然記念物となっています。

神社の分布と祭神

久伊豆神社は、埼玉県の元荒川流域を中心に分布する神社であり、祭神は大己貴命(大国主)です。久伊豆神社の分布範囲は、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致しています。加須市の玉敷神社(たましきじんじゃ)は、かつて「久伊豆明神」と称しており、久伊豆神社の総本社とされています。

徳川将軍家との関わり

近世に入ると、徳川将軍家も篤く崇敬し、二代将軍秀忠や三代将軍家光も鷹狩りの際に参拝、休憩したと伝えられています。また当神社は古来、現在の越谷市の中核となった元の四丁野村、越ケ谷宿、大沢町、瓦曽根町、神明下村、谷中村、花田村の七ケ所の総鎮守とされてきました。

明治以降の発展

明治の御維新後、久伊豆神社は当地の総鎮守として明治六年四月に郷社に列格されました。以来、神社はますます繁栄し、今日では氏子区域のみならず、県下や全国に亙って信仰崇敬を集めています。

施設と見どころ

南洋神社鎮座跡地遥拝殿

本殿の裏手には、第二次世界大戦中にパラオ共和国コロール島に建立された「南洋神社」をしのぶ「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」があります。この施設は、2004年4月11日の竣工奉祝祭にパラオのトミー・レメンゲサウ大統領も出席しました。

手水舎の登竜門

久伊豆神社の中で最古の建築物(1675年建立)と言われているのが手水舎です。急流を登った鯉が龍になる言い伝え「登龍門」の彫刻が施され、天井には見事な龍の絵が描かれています。立葵の神紋が水盤に彫られていることからも、徳川家との関係が伺えます。

久伊豆の藤と神池

第三鳥居のそばには神池があり、池ほとりには国学者平田篤胤の仮寓跡が存在します。樹齢250年の天然記念物「大藤」は毎年見頃の時期に藤まつりが開催され、多くの人々が訪れます。池の中央には水神社があり、亀や鯉が顔を覗かせる光景が見られます。

第三鳥居

伊勢神宮の第61回神宮式年遷宮で撤去された皇大神宮の内宮板垣南御門を、久伊豆神社に曳き入れる越谷お木曳祭が斎行されました。現在の第三鳥居は、平成7年に再建されたもので、高さ7.5m、幅8.5mの木曽ヒノキ材で作られています。

狛犬の足止め麻

拝殿の前には、足に麻が結ばれている狛犬がいます。これは、家出や悪所通い、多忙な仕事などで家庭を顧みない家族との絆をしっかり結び直したいという願いを込めて結ばれたものです。申込は受付所で行えます。

天岩戸の図

本殿の後方には、平田篤胤が奉納した「天岩戸の図」の複製があります。この図は、絵馬掛けの隣に展示されており、参拝者が自由に見ることができます。

三ノ宮卯之助の力石

江戸時代後期には、全国の神社で大きな石や米俵を持ち上げる興行が盛んでした。今のせんげん台の西の方にあった三野宮村に、日本一の力持ちと言われた卯之助がいました。久伊豆神社には、「三ノ宮卯之助」と銘が刻まれた力石が奉納されており、その存在が伝えられています。

クイズ神社

「久伊豆」が「クイズ」とも読めることから「クイズ神社」とも呼ばれています。さいたま市岩槻区の久伊豆神社が「史上最大!第11回アメリカ横断ウルトラクイズ」(1987年)の国内第二次予選会場として選ばれたことから、知名度が高まりました。これにより、クイズ番組の優勝祈願に訪れる者も増えています。

祭りとイベント

毎年4月29日には、御神楽を奉納し、営業繁栄や家内安全を祈願する「藤祭太々神楽講」が行われます。また、境内の藤まつりも開催され、多くの人々が訪れます。

Information

名称
越谷郷 久伊豆神社
(こしがやごう ひさいず じんじゃ)

熊谷・深谷・行田

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