埼玉県入間市にある愛宕神社は、創建年代は不詳ですが、社伝によると、武蔵野の開発とともに天照大御神を祀り1000年以上の歴史がある神社です。地域の産土神として親しまれています。新田義興にまつわる伝説や、古くからの祭りなど、地域の人々に親しまれてきました。1955年に公開された映画『石合戦』のロケ地としても使われました。
愛宕神社は、創建年代は不詳ですが、武蔵野の開発と共に天照大御神を祭祀したと言われています。1358年(正平13年)新田義興主従の首実検が当地で行われてから災いが相次いだため、1360年(正平16年)に新田義興公の霊を合祀したと伝えられています。1388年(元中5年)に別雷神を合祀しました。
1649年(慶安2年)江戸幕府から社領8石の御朱印状を受領し、1872年(明治5年)愛宕神社と改称、1907年(明治40年)東愛宕神社を合祀しました。
鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞が足利尊氏との抗争に敗れた後、次男の義興が入間川に陣を構えていた鎌倉公方 足利基氏により、延文3年(1358年)に矢口の渡しで謀殺されました。その後、災害が相次ぎ、義興の霊を祀るために首塚が作られました。首塚には松が植えられ、現在は二代目の松が立っています。
愛宕神社の境内は、古木に囲まれた深い緑とざわめく風、奥行きのある厳かな世界が広がっています。毎月27日には骨董市が開かれ、地域の人々に親しまれています。
志茂町屋台は、愛宕神社例大祭(おとうろう祭り)で曳かれる屋台のひとつです。この屋台はもともと川越氷川神社の例大祭で使用されていたもので、1836年に川越鴫町で造られ、昭和27年に豊岡第三区へ引き取られました。黒塗りで金箔押しの屋台は、江戸時代の手法を用いた繊細な彫刻が施されています。
日枝神社は、愛宕神社の境内社の一つで、十三騎、稲荷神社、八雲神社、御岳神社、金毘羅神社が相殿として祀られています。
蚕影神社の祭神は稚産霊神(わかむすびのかみ)です。文政2年(1819年)に常陸国筑波郡の蚕影神社から分霊を勧請し、昭和6年(1931年)に入間市立豊岡小学校に奉安殿が造営されました。昭和20年(1945年)の神道指令により奉安殿は廃止され、当社の境内に移転されました。昭和29年(1954年)に当社の社殿として改築・移築されました。
1358年(正平13年)に謀略により殺害された新田義興の首は、足利基氏の陣屋で首実検の後、愛宕神社の拝殿前に埋葬されました。その目印として松と杉の枝を挿し、その松が「初代の首塚の松」となりました。この松は、幹の途中で桜が咲くことがありましたが、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で枯死しました。現在は二代目の松が立っています。
新田義興と共に討ち死にした十三人の従者の首も足利基氏の陣屋で首実検され、愛宕神社の境内に埋葬されました。
勝海舟が晩年、扇町屋に滞在した際に揮毫した扁額が愛宕神社にあります。
愛宕神社には、松尾芭蕉の句「ひらひらと 挙ぐる扇や 雲の峰」の碑があります。
神楽殿では、愛宕神社の祭りや行事の際に神楽が奉納されます。
おとうろう祭りは、愛宕神社の春季例大祭であり、旧扇町屋村の三地区(賀美町、奈賀町、志茂町)の区民まつりとの合同行事です。毎年4月下旬の土日に行われ、三地区の屋台が巡行されます。特に志茂町の屋台は、入間市の指定文化財です。その他、わんぱく相撲土俵入り、三宅太鼓の披露、入間鳶土木工業会による「梯子乗り」などが行われます。
新田義興(にった よしおき)は、南北朝時代の武将で、新田義貞の次男です。父・義貞が鎌倉幕府を倒す活躍を見せた新田一族の一員として、その生涯は激動の時代を反映したドラマティックなものでした。