埼玉県越生町にある松渓山法恩寺は、古くから地域の人々に親しまれてきた真言宗智山派の寺院です。行基が開創したと伝えられ、鎌倉時代には源頼朝が再建させたとされる歴史ある名刹です。国指定の重要文化財「絹本著色釈迦三尊及阿難迦葉像」や「絹本著色高野明神像・丹生明神像」をはじめ、多くの宝物や文化財を収蔵しています。現在では、七福神めぐりの恵比寿様が祀られていることでも知られています。
法恩寺は、天平10年(738年)に行基が東国巡遊の際に創建したと伝えられています。その後、鎌倉時代には越生氏の保護のもと再興され、天台宗の寺院として栄えました。しかし、室町時代中期には真言宗に改められ、江戸時代には真言宗の学問所としても知られるようになりました。
松渓山法恩寺は現在、真言宗智山派の中本山であり、京都智積院の法流に属しています。法恩寺の年譜によれば、天平10年に行基大士が創建し、宗義は法相宗であったとされています。
その後、寺は荒廃し、無住となりましたが、文治年間(1185-1190年)に児玉党の倉田孫四郎基行が出家し、端泉坊と称して再興に努めました。基行は妻の妙泉尼と共に源頼朝に再興を願い出て、頼朝は夫妻の話に感銘を受けて土地と田畑を寄進し、越生次郎家行に命じて堂舎を建立させました。建久3年(1192年)に堂舎は完成し、頼朝から八町四方の寺地を賜り、天台宗都幾川村慈光寺の与力寺として発足しました。
鎌倉時代には法恩寺は大いに栄えましたが、南北朝時代に入ると次第に衰微しました。応永5年(1398年)に栄曇(えいどん)が入山し、天台宗から真言宗に改宗して中興開山しました。
天正19年(1591年)には、徳川家康から寺領として朱印地20石が与えられ、江戸時代には関東十一檀林の一つとして、真義真言宗の僧侶養成の中心地となりました。住職が将軍に直接拝謁できる「独礼」を許されたことからも、その高い格式がうかがえます。
「絹本著色高野明神像・丹生明神像」や「絹本著色釈迦三尊及阿難迦葉像」は、国指定の重要文化財として保護されています。これらの作品は、その芸術的価値と歴史的背景から非常に重要なものとされています。
県指定文化財としては、「絹本着色両界曼荼羅」や「金銅装説相箱及び戒体箱」があり、これらは宗教的な儀式に用いられた貴重な遺物です。町指定文化財としては、「木造大日如来坐像」や「法恩寺年譜」があり、これらも法恩寺の歴史と信仰を伝える重要な資料です。
法恩寺は、その豊かな歴史と文化財を通じて、訪れる人々に多くの感動を与え続けています。七福神めぐりの恵比寿様が祀られていることもあり、観光や信仰の場として広く親しまれています。是非一度訪れて、その歴史と文化に触れてみてください。