埼玉県日高市に鎮座する高麗神社は、古くから人々に崇敬されてきた歴史ある神社です。朝鮮半島の高句麗からの渡来人である高麗王若光を主祭神として祀っています。
高麗郡と呼ばれる地域は、奈良時代に設置された土地で、朝鮮半島にゆかりのある地とされています。716年(霊亀2年)に設置されたこの高麗郡には、多くの高句麗人が移住し、その歴史的背景から現在でも文化的な繋がりを感じることができます。
高句麗が唐・新羅の連合軍によって668年に滅ぼされた際、多くの高句麗人が日本に亡命しました。『日本書紀』には、高麗王若光が外交使節団の一員として日本へ渡来したことが記されています。若光はその後、大和朝廷に仕え、703年には「王」の姓を賜りました。この姓は、外国の王族出身者に与えられるものでした。
霊亀2年(716年)5月16日、大和朝廷は高句麗人1799人を武蔵国に移住させ、「高麗郡」を創設しました。若光はその郡の長官に任命され、郡内の高麗人を指揮して未開の地を開発しました。その徳を偲び、若光の霊を祀り、彼を高麗郡の守護神としました。
高麗神社は、若光を主祭神として祀る神社であり、神仏習合の時代には高麗家が修験者として別当を務めていました。天正18年に徳川家康が関東に入国すると、翌年(1592年)には徳川家から社領として高麗郷内に3石を寄進されました。明治以降、高麗神社と称されるようになり、現在に至ります。
神社の入口付近には、2005年に在日本大韓民国民団から寄贈された花崗岩製の将軍標があります。これは、1992年に設置された木製のものが破損したため再寄贈されたものです。また、駐日大韓民国大使らの参拝も行われています。この神社には、参拝した政治家の6人が首相になったことから、「出世神社」とも呼ばれています。
高麗神社の社殿は3つの時代に分けて建てられています。正面手前の外拝殿は平成27年に増改築され、車椅子のままで進めるバリアフリー構造となっています。中間部の内拝殿・幣殿・御本殿覆屋は、昭和9年(1793年)の境内整備の一環で造営され、設計は東京帝国大学教授の伊藤忠太によるものです。本殿は、一間社流れ造りで中世、安土・桃山時代の建立とされ、埼玉県の指定文化財です。
神社には多くの文化財が伝わっています。国指定文化財である「大般若経」は、高麗家23代麗純の5男、慶弁が鎌倉時代に模写した経典で、456巻が保存されています。また、市指定文化財である「高麗氏系図」には、高麗王若光の長子家重から46代良賢までの系譜が記されています。
「徳川将軍社領寄進状」は天正19年(1592年)に徳川家康が交付した朱印状と、その後の将軍が交付した朱印状12通が指定されています。これらの文書には、社領3石を寄進すること、不入の権を認めることが記されています。
神楽殿では、年間を通じて様々な祭事や催しが行われ、舞や楽器演奏、芸能などが奉納されます。2017年9月20日から9月21日にかけて、当時の天皇、皇后が日高市や深谷市の渋沢栄一記念館を訪問し、その際に高麗神社に親拝しました。この訪問は神社の歴史上初めてであり、韓国でも大々的に報じられました。
高麗神社の境内には、高麗家住宅という江戸時代の古民家があります。この住宅は、神職を務めた高麗家の住居であり、1976年に国指定の重要文化財に指定されました。建築は17世紀後半のもので、入母屋造り、茅葺きの屋根を持ち、東日本の民家の中では非常に古い形を残しています。
高麗家住宅には古民具が展示されており、昔の生活を感じ取ることができます。また、住宅脇には樹齢400年のシダレザクラがあり、春には多くの観光客が訪れ、住宅と桜の風情を楽しんでいます。