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狭山不動尊

(さやま ふどうそん)

徳川家ゆかりの江戸時代建てられた貴重な建築

埼玉県所沢市にある狭山不動尊は、天台宗別格本山の寺院です。山号は狭山山、寺号は不動寺であり、本尊は不動明王です。埼玉西武ライオンズが毎年シーズン開幕直前の3月下旬に必勝祈願を行う寺としても知られています。

境内には、徳川家ゆかりの重要文化財や、全国各地から移築された歴史ある建物が数多く存在します。豊かな自然に囲まれた静寂な空間で、四季折々の風景を楽しむことができます。

歴史

昭和20年代から30年代にかけて、西武グループの創業者である堤康次郎が私的に収集した各地の歴史的建造物がこの地に移築されました。当初はユネスコ村の一部として展示されていました。1975年(昭和50年)、西武鉄道グループの堤義明と親しかった寛永寺の助力により、天台宗別格本山として開山されました。2001年(平成13年)には、本堂(京都東本願寺から移築・七間堂)が不審火により焼失しました。

四季折々の表情

西武線沿線にある狭山湖(山口貯水池)と狭山丘陵に囲まれた豊かな自然に恵まれた土地に、昭和50年4月に開山されました。平成13年12月には本堂が新たに建立されました。境内には数多くの重要文化財があり、その荘厳な建物と自然が調和した景観は、まるで古都を彷彿とさせるものです。

文化財

狭山不動尊の境内には以下の重要文化財があります。

旧台徳院霊廟勅額門、丁子門及び御成門

これら3棟は元々東京都港区芝公園の増上寺にあった台徳院(徳川秀忠)の霊廟に属していた建物です。1963年に増上寺からユネスコ村(テーマパーク、閉園)へ移築され、その一部が現在の狭山不動尊となっています。

台徳院霊廟は江戸幕府2代将軍である徳川秀忠の霊廟建築で、増上寺に造営されましたが、戦災で大部分が焼失しました。残った建物は後に移築され、狭山不動尊の重要文化財として保存されています。

勅額門

勅額門は1960年に埼玉県所沢市に移築されました。切妻造四脚門で、徳川家台徳院一品大相国公(二代将軍徳川秀忠公)の御廟に建てられたものです。勅額は後水尾天皇の筆によるもので、三代将軍徳川家光公が建立しました。

丁子門

丁子門は1960年に埼玉県所沢市に移築されました。一間平唐門で、徳川家崇源院(秀忠夫人)の霊牌所への通用門として使われました。寛永12年(1635年)に三代将軍徳川家光公が建立しました。

御成門

御成門も1960年に埼玉県所沢市に移築されました。切妻造妻入で、桁行2間、梁間1間の構造です。飛天の彫刻や絵画が多く描かれており、天人門とも呼ばれています。寛永9年(1632年)に三代将軍徳川家光公が建立しました。

埼玉県指定文化財

第一多宝塔

大阪府高槻市の畠山神社から昭和36年(1961年)に現在地に移築されました。建立は慶長12年(1607年)で、安土桃山時代の特色をよく表しています。

第二多宝塔

室町時代中期の永享7年(1435年)に兵庫県東條町天神の椅鹿寺に建立されました。昭和39年(1964年)に当境内に移され、室町時代中期の様式をよく伝えています。

大黒堂(柿本歌塚堂)

奈良極楽寺境内に建立された柿本人麻呂の歌塚堂が昭和38年(1963年)に当境内に移設されました。大黒天を祀り、入母屋造り本瓦葺の構造です。

弁天堂(旧清涼寺経蔵)

滋賀県彦根市の清涼寺に建立された弁天堂が昭和23年に移設されました。六角円堂一重本瓦葺の構造で、弁財天を祀っています。

羅漢堂

明治28年(1895年)、井上馨公の還暦を祝し、明治天皇、昭憲皇太后の御下賜金を基として建立されました。昭和20年(1945年)の戦火から唯一残り、現在地に移築されました。

桜井門

奈良県十津川の桜井寺の山門として建立された桜井門です。幕末の天誅組本陣として利用され、五條代官を襲撃した際に使われました。

行事

初詣

1月1日から1月7日、1月の土日祝日に行われます。

花まつり

4月1日から4月8日に行われます。

七五三の祝い

10月下旬から11月にかけて行われます。

護摩祈願

毎週日曜日14時から行われます(都合により土曜日14時からの週もあります)。

納め護摩

12月28日14時から行われます。

除夜の鐘つき

12月31日23時30分から行われます。

Information

名称
狭山不動尊
(さやま ふどうそん)

飯能・所沢

埼玉県