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安養山 善能寺

(あんようざん ぜんのうじ)

、静寂の空間

埼玉県鶴ヶ島市脚折町にある善能寺は、真言宗智山派の寺院です。山号は安養山といい、地元では古くから親しまれている寺院です。特に、4年に一度行われる「脚折雨乞い」の際には、龍神が住職から祈願を受けます。

善能寺の歴史

善能寺の開山時期は明確ではありませんが、1596年(慶長元年)に栄慶によって中興開山されたと伝えられています。度重なる火災に見舞われましたが、現在の本堂は1843年(天保14年)に再建されました。また、境内にある薬師堂は享保年間(1716年 – 1735年)に建造され、堂内に安置されている薬師瑠璃光如来は12年に一度、寅年に御開帳されることで知られています。善能寺は中武蔵七十二薬師の11番札所でもあります。

本堂の役割と学校としての利用

1872年(明治5年)、日本で学制が制定された際、善能寺の本堂は鶴ヶ島学校の初代校舎として使用されました。当時の生徒数は22人(男19人、女3人)であり、地域の教育の場として重要な役割を果たしました。

境内の風景と見どころ

善能寺の山門を入ると、手入れの行き届いた美しい庭が広がっています。左手には鐘楼堂があり、その横には小さな池があります。ピンクのスイレンの花が咲き、池の上をトンボや蝶が飛び交う風景が広がります。奥へ進むと、大きな屋根の本堂があり、参拝者はその厳かな雰囲気に心が引き締まります。

脚折雨乞と善能寺の関わり

善能寺は、国の選択無形民俗文化財に選択された脚折雨乞の龍神渡御の際に重要な役割を果たしています。龍神は住職から祈願を受けるとともに、担ぎ手たちの休憩所としても利用されます。このように、地域の伝統行事にも深く関わっている寺院です。

薬師堂と薬師瑠璃光如来

境内にある薬師堂は享保年間に建造され、内部には薬師瑠璃光如来が安置されています。この薬師如来は12年に一度、寅年に御開帳されるため、多くの参拝者が訪れます。また、善能寺は中武蔵七十二薬師の11番札所としても知られ、多くの巡礼者が訪れる場所です。

善能寺の現在

善能寺は現在も地域の人々に親しまれ、様々な行事や活動が行われています。手入れの行き届いた庭や、美しい自然に囲まれた境内は、訪れる人々に安らぎと癒しを提供しています。また、地域の歴史や文化を感じることのできる場所として、多くの人々に愛され続けています。

Information

名称
安養山 善能寺
(あんようざん ぜんのうじ)

川越・東松山

埼玉県