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旧山崎家別邸

(きゅう やまざきけ べってい)

和洋折衷の調和した近代日本の建築と庭園

埼玉県川越市に佇む旧山崎家別邸は、大正時代に建てられた豪邸です。和洋折衷の建築様式と美しい庭園が特徴で、近代日本の住宅文化を語る上で重要な文化財として、2019年には母屋が国重要文化財に指定されました。

建築の経緯

この別邸は、川越の老舗菓子屋「龜屋」の五代目である山崎嘉七氏の隠居所として、大正13年(1924年)に建てられました。設計は保岡勝也が担当し、和洋折衷の建築と風情ある庭園が特徴です。平成12年には主屋・茶室・腰掛待合が市指定有形文化財となり、平成18年には建物部分が市へ寄贈されました。平成23年には庭園が国登録記念物(名勝地)に登録され、令和元年には母屋が国重要文化財(建造物)に指定されました(茶室・腰掛待合は附指定)。

川越の老舗菓子屋「龜屋」と山崎家

山崎家は、信州高井郡下笠原村(現在の長野県中野市)出身の初代嘉七氏が安永元年(1772年)ごろに川越に来て、上菓子製造業の亀屋清右衛門のもとで修行し、天明3年(1783年)に「龜屋」の暖簾を許され創業したと伝わっています。四代目嘉七氏は、明治11年(1878年)に第八十五国立銀行の創立に関わり、当時の川越経済界を主導する存在でした。

設計者・保岡勝也の功績

旧山崎家別邸の設計は、東京帝国大学で辰野金吾(日本銀行本店・東京駅を設計)に師事し、建築学を学んだ保岡勝也が行いました。卒業後、現在の三菱地所に勤めた後、中小住宅に関心を持ち、住宅や数寄屋設計者として活躍しました。

大正7年(1918年)には、第八十五銀行本店(現在の登録有形文化財である埼玉りそな銀行川越支店)を手がけました。当時、五代目嘉七氏が第八十五銀行の副頭取を務めていたこともあり、保岡勝也の実力を認めた上で自身の別邸設計を依頼したと考えられます。

川越の私的迎賓館としての役割

この別邸は、五代目山崎嘉七氏の隠居所としてだけでなく、川越の私的迎賓館としての性格を持ち、陸軍の演習を観閲に川越付近に訪れた訪れた皇族が宿泊することもありました。現在の庭には、昭和4年に川越へ訪れた李王垠殿下のお手植えの松が残されています。

旧山崎家別邸の特徴

旧山崎家別邸の敷地面積は約2,300平方メートル、延べ床面積は250平方メートルあります。母屋の南側には広々とした庭園が広がり、庭の東側には有楽如庵の写しと伝わる茶室があります。

館内は和風・洋風の接客室が機能的な動線で結ばれ、色鮮やかなステンドグラスも特徴の一つです。各客室の窓のステンドグラスは別府七郎による図案で、小川三知の作品も含まれています。

建物の特徴

2階建の洋館の母屋に平屋の和館と2階建の土蔵が接続した造りを持ちます。母屋は木造モルタル仕上げ洋風屋根葺の洋館で、和室棟にしっくりと溶け合うデザインとなっています。洋館の1階は吹付モルタル塗り、2階は細い横目地の磨き壁といったすっきりとした仕上げがされています。壁にはステンドグラスが2面配置され、特に泰山木の花の白さと鳥の赤い冠羽が印象的です。

和室の特徴

数寄屋造りの和室は、客室と居間に良材が使用され、主な柱は全て磨き丸太が使用されています。和室棟の東側端には児童室が配置されています。

旧山崎家別邸庭園

旧山崎家別邸の庭園は、和館、洋館の建築とともに、保岡勝也が設計した茶室を含む和風庭園の事例として価値があると認められ、「造園文化の発展に寄与しているもの」として高く評価されています。平成23年2月には、庭園が国登録記念物(名勝地)に登録されました。

庭園の設計

設計者である保岡勝也は、「茶室と茶庭」を出版するほど和風庭園に造詣が深く、山崎家別邸の庭園設計でもその知識を発揮しています。和室の廊下から見渡すと、なだらかな高低差のある庭が広がり、石灯籠がアクセントとなって、木立の先に建つ茶室が風情を添えています。

旧山崎家別邸は、その建築と庭園が一体となり、日本の住宅近代化の過程を示す重要な文化財です。その歴史的価値は今後も受け継がれ、多くの人々に愛され続けることでしょう。

Information

名称
旧山崎家別邸
(きゅう やまざきけ べってい)

川越・東松山

埼玉県