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川越八幡宮

(かわごえ はちまんぐう)

源頼信が創建した由緒ある神社、歴史と伝統が息づく聖地

埼玉県川越市に鎮座する川越八幡宮は、平安時代の武将で「源氏」の祖とされる源頼信が創建した由緒ある神社です。古くから地域の人々に親しまれ、数々の歴史と伝統を今に伝えています。

祭神

川越八幡宮の主祭神は以下の神々です。

歴史

川越八幡宮は、1030年(長元3年)に甲斐守 源頼信によって創建されました。源頼信は平忠常の乱を平定する祈願をこの地で行い、戦勝に感謝して当神社を創祀しました。その後の歴史的な出来事を以下に示します。

祭事・年中行事

川越八幡宮では、年間を通じて様々な祭事や行事が行われます。

境内

境内には、明仁上皇御生誕を記念して昭和8年(1933年)に植樹された夫婦銀杏の神木があります。この銀杏は良縁や夫婦円満にご利益があるとされています。

境内社

民部稲荷神社(相撲稲荷)

この神社は足腰を強くするご利益があり、箱根駅伝出場選手などに人気です。

末社

民部稲荷神社

この神社は川越市の丸広百貨店川越店本館屋上に鎮座しています。元々は梵心町(現在の新富町2丁目)の梵心山にありましたが、荒廃したため川越八幡宮境内に遷されました。その後、丸広百貨店川越店の屋上に遷座され、現在に至っています。

川越三峯神社

川越八幡宮の境内には、1868年(明治元年)に秩父市にある三峯神社の遥拝所として川越三峯神社が祀られました。2021年、川越八幡宮創建一千年祭の記念事業の一環として遥拝所や社号票が新たに整備され、遷座祭が執り行われました。

伝説

川越八幡宮には、侍に化けて八王子に住みついていた老狐の伝説があります。この老狐は「民部」と名乗り、寺の小僧と仲良くなっていました。しかし、和尚に正体を知られたため、川越の山中に身を隠し、打ち身手当ての術を教えて去って行ったという話です。この伝説は「まんが日本昔ばなし」でも紹介され、全国的に有名になりました。

川越八幡宮の詳細

川越八幡宮は、第六十八代後一条天皇の時代の長元3年(1030年)に甲斐守源頼信によって創始されました。

歴史の詳細

長元元年(1028年)、下総国(千葉)の城主前上総介平忠常が朝廷に謀反を企て、安房、上総、下総の3カ国を従わせ、大軍を起こして武蔵国に攻め入りました。この乱は長元の乱と言われ、3年に渡り鎮圧できませんでした。有力武士だった甲斐守源頼信が長元3年に平忠常追討の綸旨を賜り、当地で必勝祈願を行いました。

頼信は敵陣に斬り込むと、忠常の軍勢はたちまちに乱れ、三日三夜の間、追討してついに乱を平定しました。頼信は神様の御神威に深く感謝し、すぐに当地に八幡宮を創祀しました。以来、「勝負の神様」として崇められ、特に受験生やスポーツ選手による必勝祈願が多く行われています。

境内の詳細

境内には天皇陛下生誕(昭和8年12月23日)を記念して植樹したご神木「縁結びイチョウ」があります。また、足腰健康にご利益がある相撲稲荷神社もあり、多くの観光客が訪れています。

川越三峯神社

川越三峯神社は明治元年(1868年)に三峯山の遥拝所として創建されました。江戸時代後期に参拝が盛んになり、川越からも多くの人々が秩父・三峯神社を訪れました。川越八幡宮創建一千年祭の記念事業の一環として、遥拝所を新たに整備しました。

民部稲荷神社

この神社は「相撲稲荷」とも称され、特に「足腰の健康」にご神徳があるとされています。昔、八王子に住んでいた老狐が人間に化け「民部」と名乗り暮らしていましたが、正体を知られ川越の梵心山に移り住んだという伝説があります。この民部狐の伝説は「まんが日本昔ばなし」でも紹介されました。

目の神様

大国主命と少彦名命は、国の内外を巡って生きるための技術や医薬の道を授け、病に苦しむ人々を救いました。現在でも「眼病平癒」「視力回復」のご利益があると言われています。

年間行事

川越八幡宮では様々な祭事が行われ、神社の伝統を今に伝えています。大きな祭りとしては10月の川越まつりがあり、多くの人々が訪れます。

正月行事

1月1日 初詣、新年祈祷

春の行事

4月 例祭

夏の行事

6月 夏越の大祓、茅の輪くぐり

秋の行事

10月 川越まつり、例大祭

Information

名称
川越八幡宮
(かわごえ はちまんぐう)

川越・東松山

埼玉県