埼玉県比企郡川島町に位置する廣徳寺は、鎌倉時代から続く由緒ある寺院です。山号は大御山で、院号は西福院となっています。本尊は五大明王です。室町時代に再建された大御堂は、その荘厳な姿と歴史的価値から、国の重要文化財に指定されています。
廣徳寺は、室町時代に建立された数少ない茅葺屋根を持つ建物の一つで、国の重要文化財に指定されています。寺院の裏には古墳があり、大きな板碑も祀られています。鎌倉時代の初めに、北条政子によって御本堂・大御堂が建立されました。現在の大御堂は室町時代の再建によるものです。
広徳寺は、「平家物語」にも登場する源頼朝の家臣、三尾谷(水尾谷)広徳によって創建されたと伝えられています。1399年(応永6年)には宥範によって中興され、江戸時代には大御堂領として江戸幕府から朱印状が与えられました。
広徳寺の大御堂は、鎌倉時代の初めに北条政子が美尾屋十郎広徳の菩提を弔うため、美尾屋氏の館跡に建立したと伝えられています。現在の大御堂は、その様式と手法から、前代の建物の規模や形式を踏襲して室町時代後期に再建されたものとみなされています。
「大御堂」とは、浄土信仰が盛んな平安末期から鎌倉期にかけての阿弥陀堂のことを意味します。広徳寺の大御堂は、13世紀の初めに北条政子が美尾屋十郎広徳の菩提を弔うために建立したもので、現在の建物は室町時代後期ごろに再興されたとされています。方三間の寄棟造、茅葺で、関東地方らしい風格を帯びた堂姿を示す数少ない禅宗(唐様)建築です。
仁王門は室町時代に建立され、その歴史は長く、数々の時代を経て多くの変遷を辿ってきました。平成20年には大規模な修復が行われ、伝統的な建築技術と現代の技術を融合させ、美しさと耐久性を兼ね備えた姿に生まれ変わりました。
本堂は、正保年間および享保年間の火災により焼失しましたが、江戸時代の後期に再建されました。本堂の須弥壇には、不動明王をご本尊とし、五大明王をお祀りしています。五大明王は悪しき衆生の煩悩を打ち破り、悟りの世界に導く仏様とされています。
大御堂 - 室町時代後期(1467年-1572年)の建立。桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、茅葺。昭和13年(1938年)7月4日に国の重要文化財に指定されました。