川越氷川祭は、毎年10月第3日曜日とその前日の土曜日に行われる埼玉県川越市の川越氷川神社の祭礼で、一般には川越まつりと呼ばれています。常陸國總社宮大祭(石岡のおまつり)・佐原の大祭と並び、関東三大祭りの一つと称されることが多いこの祭りは、2日間で80万人以上の人出を数える規模です。360年以上の歴史を持つこの祭事は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、2016年にはユネスコの無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」の一つとして登録されました。
川越氷川祭の起源は、慶安元年(1648年)に遡ります。川越城主松平信綱が氷川神社に神輿2基と獅子頭・太鼓などの祭具を寄進し、江戸の天下祭にならって神幸祭を興したことに始まると伝えられています。この祭りは元来、氷川神社の例大祭であり、神社の神事祭典と氏子である十ヶ町が中心になって行う附け祭りから成り立っています。当初の祭礼規模は小さかったものの、附け祭りの様式はさまざまな変遷を経て、今日のような絢爛豪華な山車行事へと発展しました。
神事祭典および山車行事は、以前は10月14日・15日に行われていましたが、現在の山車行事は10月第3土・日曜日に行われています。氏子の旧町内から曳き出された山車が巡行するこの行事は、天下祭といわれた江戸の山王祭や神田祭の影響を受けつつ発展し、江戸型山車の巡行と山車に舞を伴うお囃子が地域的な特色を見せています。平成28年(2016)には、全国33件の「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。
370年以上の歴史を持つ川越まつりは、江戸天下祭を今に伝える山車行事です。平成17年には国指定重要無形民俗文化財、平成28年にはユネスコ無形文化遺産に「川越氷川祭の山車行事」として登録されました。精巧な人形を乗せた絢爛豪華な山車が、小江戸川越の象徴である蔵造りの町並みを中心に曳行され、何台もの山車がすれ違うさまは、見るものを圧倒します。
川越まつりの最大の見どころは「曳っかわせ」です。山車同士が出会うと互いに向き合い、お囃子の演舞が行われ、まつり人たちは提灯を高々と振り上げて歓声をあげます。特に夜の「曳っかわせ」は最高潮の盛り上がりを見せます。
川越氷川祭は、平成8年(1996年)までは川越氷川神社の例大祭とその後の神幸祭に合わせて10月14日・15日に実施されていましたが、平成9年(1997年)より現在の開催日となりました。氷川神社では現在でも変わらず14日に例大祭が行われており、例年その日の夕刻に祭礼始之儀(笠渡し)が行われます。祭りの二日目翌日の夕刻には祭礼納之儀(笠脱ぎ)が行われ、祭りの終わりを迎えます。現在は例大祭を含む1週間を祭礼期間としており、紅白水引幕を設置する日曜からまつり2日目の日曜まで続きます。2022年は10月15日と16日に開催予定で、市制施行100周年のため、市内すべての山車(29台)が参加する予定です。
川越城下の大半が焼き尽くされた寛永15年(1638年)の川越大火の翌年に幕府老中首座であった松平信綱が川越藩主となり町の再興がなされる中で、慶安元年(1648年)、信綱が2基の神輿・獅子頭・太鼓を寄進し、川越総鎮守である氷川神社の神事として神輿渡御が行われるようになりました。慶安4年(1651年)には祭礼となり、経済的に繁栄した川越商人の町方文化が花開き、元禄11年(1698年)には踊り屋台が、天保13年(1842年)には商人町と職人町であった城下の十ヶ町に人形山車が登場するなど、さまざまな変遷を経ています。江戸時代から「小江戸」と呼ばれた川越では、祭りも江戸神田明神の神田祭など天下祭の影響を強く受けており、幕府の影響を色濃く受けた天下祭が東京では明治維新以後に新政府によって解体されたり、電線の敷設によって山車の曳行ができなくなったことで神輿中心の祭りに変貌したのに対し、川越では江戸天下祭の伝統が今日でも最も生きている祭りの一つとなっています。
川越氷川祭は氷川神社の例大祭の付け祭りが発展したもので、関東では数少ない山車の祭りです。現在、神田祭や三社祭などに見られる神輿の祭りではなく、山車の曳き回しと山車の舞台上での囃子の演奏が特徴です。また、山車の曳き回しには他の山車祭に見られるような決まった順路がないため、一部を除き山車行列的なものはなく、各町内が独自に山車の曳き回しを行っています。
川越市が公表する「川越まつり参加の山車」は29本存在し、他にも市街地への距離などの事情により中心地へ曳き入れないながらも、併催行事として山車や屋台を曳き回す町内もあります。山車は三層構造で、上部に精巧な人形を乗せた絢爛豪華なものが多く、人形の名前が山車の名前にもなっています。人形は神話、民話、能、雅楽、徳川幕府と川越藩にちなんだ人物などから題材が選ばれています。
囃子は神田など江戸からの囃子(江戸囃子)の流れを汲み、山車ごとに乗り込む囃子連が決まっています。現在では山車を所有している町内に囃子連が存在することが多いですが、かつては近郊の農村部の囃子連を招くことが主流でした。曲目は「屋台」「四丁目」「ニンバ(インバ、ミンバ)」「鎌倉」などの屋台囃子であり、五人囃子に「天狐」が加わり、山車の上で囃子手が舞うこともあります。神田祭などでは明治以降、電線の敷設により山車の曳行ができなくなったことから、神輿中心の祭りへと変貌しましたが、川越では江戸の伝統が今も強く残っているのが特徴です。