埼玉県ふじみ野市にある福岡河岸記念館は、江戸時代から明治にかけて栄えた回漕問屋「福田屋」を保存・公開した施設です。新河岸川舟運の賑わいを今に伝える貴重な建物と、当時の暮らしを再現した展示が見どころです。市指定有形文化財であり、埼玉県の景観重要建造物第1号にも指定されています。
福岡河岸記念館は、江戸と川越を結ぶ新河岸川舟運の船着場であった福岡河岸に位置しています。ここには、江戸後期に開業し、明治中期まで栄えた回漕問屋福田屋があり、その建物を利用して公開されています。記念館では、舟運と問屋の生活を展示し、歴史的な文化財として保存・公開しています。
1831年(天保2年)に福田屋が開業し、新河岸川における福岡河岸の船運が盛んでした。記念館としては1996年(平成8年)11月3日に開館し、2011年(平成23年)3月14日には埼玉県の景観重要建造物第1号に指定されました。付近には国の登録有形文化財の回漕問屋「吉野屋」もあります。
主屋は、木造二階建、切妻造り、瓦葺きで、道路に南面して建っています。ここでは、商家の厳重さを伝えるための片引きの格子戸・障子附の引き違い板戸・揚げ戸の三重の建具が特徴です。現在は一階のみ公開されていますが、特別公開日には二階も公開されます。
主屋には、以下の見どころがあります:
主屋では、新河岸川舟運や河岸場の船問屋についてパネルで紹介しています。再現された帳場には、荷主との取引に必要な帳場道具や番頭たちが着ていた印半天が展示されています。また、市内川崎地区の船大工が描いた図面をもとに復元したオカジも展示し、往来した荷船の大きさを感じ取ることができます。
離れは、十代目星野仙蔵(ほしのせんぞう)によって明治後期に接客用として建てられました。明治期の木造三階建てで、県内唯一の現存する建物です。寄棟造瓦葺で、建築面積33.95平方メートル、延床面積91.91平方メートルとなっています。
文庫蔵は、大福帳などの帳簿類を保管するために利用されていました。木造二階建、切妻造瓦葺で、明治30年代の建築です。延床面積84.10平方メートルとなっています。ここでは、船問屋のなりわいや十代目星野仙蔵関連の資料を展示しています。
台所と主屋は近接して建てられており、木造二階建、切妻造瓦葺きで、明治初期の建物をさらに明治30年代に増改築しています。二階には男部屋と呼ばれる12畳の部屋があり、雇用人の住空間を解明する貴重な場所です。
福岡河岸記念館には、入館者受付および事務所としての管理棟もあります。また、入口の門や外塀・外壁そして石垣も福田屋を構成する建造物として、景観を保持する重要な役割を果たしています。
新河岸川舟運は、寛永15年(1638)に焼失した川越の仙波東照宮の再建資材を運んだのが始まりとされています。舟運が本格化したのは、川越藩主松平信綱の時代で、正保4年(1647)頃とされています。川幅も広いところで80間(約145メートル)、狭いところでは10数間(約20メートル)と変化に富んでいました。
福岡河岸は、対岸の古市場河岸の繁栄を背景に、享保18年(1733)頃から福岡村の人々が農業のかたわら回漕業を営んだのが始まりとされています。天保2年(1831)には福田屋の七代仙蔵が船問屋を開業し、現在の河岸記念館が建つ高台の土地に移り住みました。江戸末期には舟運の最盛期を迎え、取り扱う荷物が増加しました。
明治28年(1895)に川越鉄道が開通すると、福岡河岸の吉野屋以外の船問屋は回漕業を縮小し、次第に小売業に移行しました。大正3年には池袋ー川越間を結ぶ東上鉄道(東武東上線)が開通し、その後の大水害を契機として新河岸川改修工事が始まりました。昭和6年の通船停止令によって舟運の時代は幕を閉じました。
福田屋は、天保2年(1831)に福岡河岸の問屋株を借りて回漕業を始め、明治20年代には最盛期を迎えました。明治末年には船問屋の営業を停止しましたが、主屋、台所棟、文庫蔵、離れが現存し、貴重な文化遺産として保存されています。
福岡河岸記念館の主屋・離れ・文部屋庫蔵・塀・石垣は、景観法第19条1項の規程により、さいたま市を除く県内で初めて景観重要建造物に指定されました。新河岸川の舟運の歴史と、地域のランドマークとしての価値を持っています。