川越市は埼玉県の南西部に位置しており、県内ではさいたま市、川口市に次ぐ第3位の人口を有する都市。観光資源は豊富で、川越氷川神社や川越大師として親しまれている喜多院(きたいん)、蔵造りの町並みなどの観光スポット、毎年10月に開催される観光イベントの川越まつり、うなぎや名産さつまいもを使った芋スイーツなどの名物ご当地グルメがおすすめです。
川越の元町には菓子屋横丁と呼ばれるエリアがあります。菓子屋横丁では明治初期からお菓子作りが行われ、関東大震災に被害にあった東京の代わりに千歳飴や水ようかんなどを製造していました。現在は20軒ほどの店舗があり、どこか懐かしさを感じる飴やせんべいが売られています。
川越は、江戸時代は交通の要衝であったため城下町として栄え、小江戸とも呼ばれているほどで、城跡や神社、仏閣など災害を免れた歴史ある建造物が多く残っており、国から歴史都市に選ばれました。鉄道網も整っているため、都心からのアクセスが容易なエリアでもあり、気軽に観光を楽しめる地域です。
川越から東武東上線で北上すると、埼玉県のほぼ中央に位置する東松山があります。豚のカシラ肉を使ったご当地グルメ、東松山やきとりが有名で、やきとりの街とも呼ばれます。東松山駅周辺には約50軒のやきとり店が点在しており、食べ歩きにもおすすめの町です。
また、東松山から北に隣接する滑川町から熊谷市の一部にまでまたがる広大な国営武蔵丘陵森林公園は、国の明治百年記念事業の一環として開園された全国初の国営公園。
園内にはサイクリングコースが設けられており、その長さは17kmにもおよびます。レンタサイクルがあるので、気軽にサイクリングが楽しめます。小さいお子さんは水遊び場やむさしキッズドームがおすすめです。森林公園で自然に触れてみてはいかがでしょうか。
遷喬館の北東約300mに木造の鐘楼がある。1671(寛文11)年城主阿部正春が時刻を知らせるため造らせたが、火災で亀裂が生じたため、1720(享保5)年当時の城主永井直信が改鋳したもの。 高さ182cm、直径76cm、重さ750kgの鐘には大判20枚が入っているといわれ、造られてから現在まで、維新の動乱期を除いて6時、正午、15時、18時に、澄んだ音色を響かせている。 平成8年環境庁(現環境省)主催の「残したい日本の音風景百選」に選定された。 時の鐘の概要 時の鐘(ときのかね)は、埼玉県川越市に位置する歴史的な鐘楼で、川越のシンボルとして知られています。この鐘楼は江戸時代に建設され、現...»
埼玉県川越市にある小江戸蔵里は、明治8年(1875年)に創業した旧鏡山酒造の酒蔵を改装した複合施設です。江戸情緒を残す歴史ある建物の中で、地域の特産品や郷土料理を楽しんだり、日本酒を試飲したりすることができます。 国の登録有形文化財に指定されている明治時代から昭和時代にかけて建てられた酒蔵を再利用した、「おみやげ処(明治蔵)」「まかない処(大正蔵)」「ききざけ処(昭和蔵)」の3つの蔵、そして「つどい処(展示蔵)」があります。 施設の構成 おみやげ処(明治蔵) 明治蔵「おみやげ処」では、小江戸川越ブランド産品の販売コーナー、お菓子の実演販売コーナー、喫茶コーナー、そして観光情報コーナーが...»
川越城は1457年に、扇谷上杉持朝が、太田道真・道灌父子に命じて築城させました。 川越城本丸御殿は、1848年に時の川越藩主・松平斉典が造営したもので、玄関・広間部分が当時の面影を残しています。ほかに富士見櫓跡や土塁・空堀が往時を物語っています。 川越城本丸御殿は、入母屋造りであり、豪華な大唐破風と霧除けが特徴です。 広さは間口19間・奥行5間で、大きな玄関と車寄せを備えています。また、36畳の大広間は板間で玄関と区切られており、奥にはさおべり天井で囲まれた9尺の廊下があります。建物の広さは165坪です。かつては16棟、1025坪の広大な敷地を持っていました。 明治時代になると廃城令に...»
なだらかな丘陵地帯に位置し、ポニーやウマ、ウサギ、ニワトリ、ヒツジなど約40種類約450匹の草食動物が主な特徴の施設です。 ここでは子供たちが動物たちと触れ合いながら楽しみながら学ぶことができます。乗馬コーナーや乳しぼり体験ができる乳牛コーナー、さらには恐竜コーナーやコアラの展示もあります。 広大な敷地面積79.2ヘクタール(そのうち46.1ヘクタールが動物園、33.1ヘクタールが散策路・クロスカントリーコースとして整備)を利用した、埼玉県内最大の動物園です。 放し飼いにされている動物もおり、200種以上、1600点以上の飼育動物が存在します。特に、世界で唯一のオーストラリア以外の動物園...»
「一番街」と呼ばれる町並みには、蔵造りの建物が趣を添えて立ち並んでいます。蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸時代の町家形式として発展しました。 城下町の趣を色濃く残し、蔵造りの町並みが特徴で「小江戸」として知られ、現在の東京では見ることのできない江戸の面影がそのまま残っています。 その風貌は、大きな鬼瓦の屋根や黒く塗られた壁、分厚い観音開きの扉など、まるでタイムスリップしたかのような感覚を覚えさせます。 一軒一軒が異なる造りをしており、それぞれが個性を引き立てながら、凛とした風格を漂わせています。 中でも最も古い建物は、寛政4年(1792年)に建てられた大沢家住宅であり、か...»
氷川神社は、川越の総鎮守として崇拝されている神社です。古墳時代(541年)に創建されたと言われ、1842年に建てられた現在の本殿は建設が始まり、美しい彫刻が施されています。 江戸城と川越城を築城した室町時代後期(15世紀)の武将の太田 道灌が、この神社を篤く崇拝し、それ以来川越の総鎮守とされ、歴代の川越藩主によって厚い保護を受けました。 古くから「家族の和を願う神」として親しまれ、また「縁結びの神」としても知られており、今でも多くのカップルがここで結婚式を挙げています。 例大祭は毎年10月に開催され、関東三大祭りの一つとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。 また、「山・鉾・...»
素朴で昔懐かしい味を守り続ける菓子作りの店が軒を連ねる菓子屋横丁があり、昔懐かしい菓子の香りが漂う魅力的な観光名所になっています。 香ばしい醤油の焼ける匂いや、ニッキやハッカ飴、駄菓子、だんごなど、昔ながらの手法で作られる飴菓子やカルメ焼きなど、懐かしい思い出が蘇るような駄菓子が数多くあります。 菓子屋横丁の歴史は、1796年(寛政8年)に鈴木藤左衛門がこの地で江戸っ子の好みに合った気取らない菓子を作り始めたことから始まりました。それ以降、のれん分けによって周囲に菓子屋が増えていきました。 関東大震災以降は、被害を受けた東京に代わって菓子屋横丁が駄菓子の製造供給の拠点となりました。千歳飴...»
坂戸市島田と東松山市宮鼻の間を流れる越辺川には、全長77メートル、幅3メートルの沈下橋である島田橋があります。 この橋は江戸時代に川越・児玉往還の場所であり、渡船(島田の渡し)で通行していました。 明治時代になって木製の橋が架けられ、現在の橋も木製です。そのため、時代劇のロケ地として使われることがあります。 島田橋は越辺川にかかる坂戸市道2343号線の潜水橋(沈下橋とも呼ばれる洪水時には橋面が水面下になる橋)です。 坂戸と東松山の両地区の生活道路や抜け道として利用されており、越辺川の終点から約8.6キロ地点に位置しています。 橋の全長は約77メートルで、幅は約3メートルです。橋脚は木...»
国営武蔵丘陵森林公園は、全国で初めての国営公園として、広大な敷地に四季折々の風景や多様な植物を楽しむことができる場所です。東京ドームの約65倍の広さを誇り、さまざまなアクティビティや施設が揃っています。 園内には24基のアスレチックや巨大なエアートランポリン、季節限定の水遊び場など、体を思いっきり動かして楽しむことができる遊具が多数あります。また、ワンちゃんと一緒に楽しめるドッグランも大人気です。 公園の歴史と自然環境 国営武蔵丘陵森林公園は、明治百年記念事業の一環として整備され、埼玉県比企郡滑川町と熊谷市楊井に広がる304ヘクタールの広大な丘陵地に位置しています。公園は雑木林を中心に、...»
一年中楽しめる憩いの場として、春はお花見、夏は県内最大のチューブスライダーや流水プールなどバラエティに富んだプール、秋は紅葉、ヒガンバナ、冬はプールフィッシングなど、季節ごとにさまざまな楽しみがあります。 春にはソメイヨシノや八重桜が咲き誇り、ハナミズキやレンギョウ、雪柳なども彩りを添え、桜の満開を楽しみながらウォーキングができます。 公園内には、ボートやテニス、ルアーフライ釣り場、フットサルコート、フィットネスクラブなどもあり、総合的なレクリエーション施設となっています。 川越市の市街地から西へ約2km、入間川の右岸に位置しています。に主にプール施設として開設され、水と緑の空間を目指し...»
他の地域にはないような太麺を使い、キャベツ、揚げ玉やその店独自の秘伝のソースを絡めて焼いた、昔ながらのシンプルな焼きそば。 太い麺にシンプルな具材が特徴の焼きそば 昔から地元の駄菓子屋の中には小テーブルがあり、そこで店主のおばちゃんが子供に焼きそばを作ってくれていたようだ。このように子供のおやつでもあったために値段も安く、具もキャベツや揚げ玉だけのシンプルなものとなっている。川越市内にある製麺業者が扱っている太麺を使用しているためボリューム感は抜群。ウスターソースの濃厚な味わいが食欲をそそる。蓮馨寺の立門前通り「まことや」をはじめ、市内に何軒かある太麺焼きそば。昭和23年に蓮馨寺境内の屋台...»
味噌とゴマ、お好みで砂糖を加えすり鉢ですったものに、きゅうりとなす、しそやみょうがなどの薬味を入れ、冷たいだし汁か水でのばしたつゆに、うどんをつけて食す郷土料理。川島町地域では「すったて」ともいわれる。農作業の合間、食欲がない時でも手軽に食べられる栄養食として広まったのが起源とされる。最近では珍しくなったが、旧家ではお盆に親戚一同が集まり、宴席の最後のしめに食されていた。 すったて 味噌をベースに胡麻、キュウリ、青じそ、ミョウガ等の夏野菜をすり鉢ですり合わせたものを、冷たい水やだし汁で割ってつけ汁とし、これにうどんをつけて食べる、川島町に昔から伝わる郷土食。古くから稲作の盛んな川島町では、...»
江戸時代よりさつまいも作りが盛んに行われてきた川越市。当初は各農家で自分たちが食べる分だけを作っていたようだが、余ったいもを焼きいも屋が買いとり江戸の街で売ったところ、たちまち大人気となり、食料としてだけではなく、商品としてさつまいもを作るようになる。そうして生産を繰り返すうちに、焼きいも屋で好まれるような色や形、大きさを考えて作られるようになり、川越市のいもは品質と味が良い「川越いも」として扱われるようになったのである。 旬 9月 10月 11月 川越芋 江戸時代の寛政年間には、焼き芋が流行しました。それ以前は蒸したサツマイモが一般的でしたが、焼き芋が広まりました。 また、文...»
東松山市の”やきとり”は、”とり”ではなく、豚のかしら肉を使用している。辛いみそだれを付けて食べるのが、東松山流。市内には100店舗以上のやきとり店があるが、みそだれは、白みそをベースに、ニンニク、とうがらしなど十数種類のスパイスを、それぞれのお店が独自の配合でブレンドしている。『東松山やきとり丼』は特製のタレにつけ込んだカシラ肉を野菜と煮込み、辛味噌でアクセントを付けたどんぶりで東松山の発のやきとりの新提案である。 北海道の美唄市、室蘭市、福島県福島市、愛媛県今治市、山口県長門市、福岡県久留米市と共に、東松山市は「やきとり」の名店が多く立ち並ぶ日本7大「やきとり」の街として知られています。...»
炊きたてのご飯にもみ海苔を混ぜておき、その上にわさび・ゆず・葱等の薬味を添え、熱々の鰹だし汁をかけたお茶漬け。政治家であり剣・禅・書の三道に造詣が深かった山岡鉄舟が、父の知行地としてよく訪れた埼玉県小川町の旅館で、三道を料理の味に盛るよう注文したことが発祥と言われている。ピリッとしたわさびが「剣道」を表し、海苔の淡い味わいが「禅道」、ゆずの香り高さは「書道」を表している。1939年に行われた宮内省(現宮内庁)の全国郷土料理調査で日本の代表的料理「日本五大名飯」にも選ばれている。 日本五大名飯 昭和14年(1939年)に、宮内省の全国郷土料理調査において選定した日本の代表的な郷土料理。 忠...»
「野良にぼーっと生えている」ことからその名が付けられたと言われている「のらぼう菜」は、栄養満点のアブラナ科の野菜。ほうれん草や小松菜同様、おひたしやゴマ和えなどにして食べるのが一般的で、埼玉県小川町周辺の伝統野菜として地域住民によって受け継がれてきた。その伝統野菜をインド料理人がまろやかなインドカレーに作り上げたものが「のらぼう菜カレー」。本格的なインドのスパイスを使ったチキンカレーと伝統野菜のコラボレーションは絶品。一度は食してみたいメニューだ。...»
埼玉県東松山市では鶏肉ではなく豚肉を串にさし、炭火でじっくり焼いたものをやきとりと言う。特にかしら肉(豚のほほとこめかみの部分)を利用したものが主流である。昭和30年代、食肉センターでは利用価値が低いとされていた豚のカシラ肉に着目し、辛味噌のたれを用いてやきとり風に調理したのがはじまりとされる。辛味噌の風味は東松山独特の味とされ、広く人気を得ている。今も東松山市内には軒先に「やきとり」の文字が多く見受けられ、国内初のやきとり組合も存在。品質の向上を図っている。 北海道の美唄市、室蘭市、福島県福島市、愛媛県今治市、山口県長門市、福岡県久留米市と共に、東松山市は「やきとり」の名店が多く立ち並ぶ日...»
豊富な栄養分を含む国産生大豆をすりつぶし、汁仕立てにしたものが「呉汁」。調理の手間や核家族化などにより忘れ去られつつあったこの郷土食を、埼玉県川島町が地域活性化と食文化の継承を目的に「かわじま呉汁」として開発した。農村の保存食でもあり、シャキシャキとした食感が特徴の「いもがら」と数種類の野菜を、大豆をつぶした汁に加えて土鍋や鉄鍋で煮込む。栄養分が凝縮され、旨味が増した汁は、美容と健康に良いと言われ、冷え性の人などにおすすめだ。...»
江戸時代に焼きいもの材料に最適といわれ、甘さとホクホク感で定評がある川越のさつまいもをふんだんに入れたおこわ。出汁の味が染みたもち米と、さつまいもの甘さが絶妙にマッチした絶妙の味は、素朴な心温まるものに仕上がっている。川越にある芋おこわ料理の専門店「右門」では、老化防止に役立つ抗酸化効果があるビタミンEが豊富に含まれているさつまいもの茎を「芋おこわ」に入れており、川越を訪れる女性たちの人気を集めている。...»
小川町・嵐山町・ときがわ町などの地域で栽培された「のらぼう菜」を原材料として使用した名物。のらぼう菜は、関東郡代伊奈備前守より配布され天明・天保の飢饉を救ったという言われを持つ地域伝統野菜で、ビタミンCが豊富。野菜の「高菜」に似ており、誰でも好き嫌いなく食べられるだろう。麺との相性が良いことから、埼玉県名物のうどんと伝統野菜を組み合わせた新商品開発を進めていく中で誕生した。「のらぼう菜の麺」と「季節の掻揚(のらぼう菜)」のコラボレーションはまさに絶品。...»
埼玉県川越市の酒蔵で使用する仕込水を使い、すっきりとした甘みと風味を出すために甘味料ではなく上質なグラニュー糖を加えて作ったこだわりの逸品。炭酸がきつくないので小さな子どももおいしく飲めるご当地サイダーだ。戦後の川越にはサイダーやラムネを製造する工場があり、この地で育つ子どもたちにも親しまれてきた。その当時の懐かしい味を復活させようと企画されたのがこの“蔵の街さいだぁ”で、大人には懐かしく、子どもには新しいおいしさとして幅広く親しまれている。...»
地産地消を柱に、環境にやさしく健康によい美味しいビールを目指すブルワリーが提供している地ビール。化学物質を使用せず、自然力を重視して育てた有機栽培の原料を地元地域で自給して製造に使っている。南ドイツ産酵母がたっぷりと入り、華やかなフルーツの香りが楽しめる「雑穀Weizen」や、豊かなコク味が特徴で18世紀のロンドンパブで荷役人達に好んで飲まれたというダークエールを復元した「おがわPorter」などの通年商品の他、春夏秋の季節に合わせて醸造される期間限定ペールエールなど多彩な味が楽しめる。...»
紅赤(べにあか)はサツマイモの品種名で、別名「金時(きんとき)」とも称されている。1898年(明治31年)、埼玉県木崎村(現さいたま市)の主婦山田いちが、偶然発見したサツマイモの突然変異種である。当時としては、とても甘いイモとして人気を博し、外見の鮮やかな紅色の特徴からもサツマイモの女王とも言える存在だった。しかし、栽培が難しく、時勢に合わず激減の一歩をたどった。幻のイモとまで言われた紅赤だが、美しい色と上品な味は人気があり、現在でも川越市内で栽培されている。 旬 8月 9月 10月 11月 12月...»
埼玉県の最南端に位置する新座市。水はけのよい関東ローム層の土壌と雑木林の有機肥料で肥えた土地をいかしたにんじん栽培が盛ん。また、この周辺では、昔から小麦粉生産が行われていたことから、おもてなし料理に”手打ちうどん”を出す風習があった。そのふたつの地産品に目をつけ、地元の製麺所がうみだしたのが”にんじんうどん”だ。 一日に必要なカロテンの半分が! ペースト状にしたにんじんが生地に練り込まれ、ほんのりオレンジ色のうどんは栄養満点。今では「埼玉ご当地B級グルメ王決定戦」でもお馴染みになり、新座市のおみやげとしても人気だ。鮮やかな彩り、ツルツル・シコシコとした食感で、ニンジンの香りと甘さがほんのり...»
埼玉県は関東ローム層に属する地域で、水はけの良い地質から、さつまいも、ごぼう、にんじんなどの根菜類の生産が盛んだ。特に川越市は、昔からさつまいもの産地として有名で、大江戸日本橋から川越札の辻まで十三里だったことから「九里四里(栗より)うまい十三里」という言葉があるほど、“川越いも”のおいしさは評判だった。“川越いも”を使ったいも料理は、壷型の釜炉のなかにイモを吊るして炭で蒸し焼きにする“壷焼きいも”や、砂糖を塗ってサクサクに焼いた“いもせんべい”のほか、最近では創作懐石料理も登場している。...»
小江戸といわれ古い町並みが残る埼玉県川越市に本社をおく「菓匠 右門」の代表銘菓は、さつまいもとつぶ餡を山芋ともち粉の生地でやさしく包み、昔なつかしい風味に仕上げたおまんじゅうである。輪切りにしたさつまいもと、吟味したオーガニックな素材で作られたつぶ餡、もちもち感のある生地の3つ要素が合わさり、「いも恋」のしっとりとしたおいしさが生まれる。埼玉県より「彩の国認定優良ブランド品」としても認定され、名実ともに埼玉県を代表するお菓子である。...»
サツマイモの産地として有名な埼玉県川越市の名物土産が、さつまいもせんべいである。2mmほどの厚さにスライスしたサツマイモを鉄板の間に挟み、圧縮しながら両面を焼きあげた生地に、その店独自の糖蜜を塗ったお菓子である。江戸時代から「栗よりうまい川越のサツマイモ」と言われたほどの歴史があり、さつまいもせんべいも明治30年代後半、そんな川越のサツマイモ文化の中で生まれた。「小江戸」とも呼ばれ古い町並みが残る川越蔵造りのほぼ中央に位置する芋菓子店・亀屋栄泉「芋菓子の歴史館」では、サツマイモ菓子の歴史を知ることもできる。 亀屋榮泉 芋菓子の元祖と言われる、川越の和菓子屋。明治より川越名産のさつまいもを中...»
川越市立博物館は、埼玉県川越市にある川越城二の丸跡に建てられた市立博物館です。蔵造りをイメージした切り妻の瓦屋根と漆喰風の白壁の外観は、周囲の歴史的景観と調和しています。 博物館は、川越が繁栄した江戸時代から明治時代を中心に、原始時代から近・現代までの長い歴史を総合的に理解できるような展示内容となっています。特に、城下町全体が見られるジオラマ模型や細部まで復元した蔵造りの町並み模型、また蔵造りの建築工程を再現した実物大模型は迫力満点です。見学した後に市内を巡れば、川越散策がさらに楽しめることでしょう。 設立の経緯と目的 川越市立博物館は、川越藩の城下町として発展してきた川越に関する資料の...»
川越市立美術館は、埼玉県川越市の川越城二の丸跡に位置する市立美術館です。美術館は川越市立博物館の隣にあり、蔵造りの商家をイメージしたデザインが外観に取り入れられています。 館内では、川越ゆかりの作家を中心に、日本画、洋画、版画など、様々なジャンルの美術作品が展示されています。川越市市制施行80周年を記念して、2002年(平成14年)12月1日(川越市民の日)に開館しました。 展示内容 川越市立美術館は、川越にゆかりのある作家の作品を中心に展示しています。普段美術館にあまりなじみのない方々でも気軽に美術に親しんでいただけるよう、「タッチアートコーナー」などの常設展示や、毎月第4土曜日にはア...»
ピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポターに関する資料館です。作者が買い取った湖水地方の農家を再現した建物や、初版本などの貴重な資料を見ることができます。 ビアトリクス・ポターのヒルトップ農場を再現 『ピーターラビットのおはなし』の作者、ビアトリクス・ポター(1866~1943)が1905年に買い取った、英国湖水地方にあるヒルトップ農場を再現した資料館です。世界的にも類を見ない大東文化大学のビアトリクス・ポター蔵書コレクションの中でも特に貴重な書籍や原画などを一般公開しています。 資料館ではビアトリクス・ポターがどのような人物であったかについてのパネル紹介、今まで制作されてきたピーター...»
埼玉県東松山市にある埼玉県こども動物自然公園は、約46ヘクタールの広大な敷地に、約160種類の動物たちが暮らす動物園。通称は「SCZOO」です。コアラやキリン、レッサーパンダなどの人気動物から、クオッカやグンディなど珍しい動物まで、様々な動物たちとの出会いが楽しめます。汽車型自動車「彩ポッポ」も人気があります。 動物たちとのふれあい 園内には、比企丘陵の自然が広がり、コアラやカンガルーなどオーストラリアの動物がいる東園のほか、こどもの城やフンボルトペンギン生態園「ペンギンヒルズ」など、多くの楽しみがあります。特に「eco(エコ)ハウチュー」では、グンディやキボシイワハイラックス、世界一小さ...»
埼玉ピースミュージアム(埼玉県平和資料館)は、物見山公園に位置し、戦争の歴史を学び、戦争の悲惨さと平和について考えることができる貴重な場所です。昭和初期から終戦までの期間を中心に、単に過去の出来事を展示するだけでなく、未来に向かって平和な社会を築くためのきっかけとなることを目指しています。 展示内容と施設 常設展示室では、1920~1940年代の昭和初期から終戦までの期間を中心に、県民と戦争との関わりを歴史的な視点から展示しています。また、疑似体験コーナーでは、戦時中の一日を体験できるように、国民学校や防空壕が再現されています。 企画展示室では、テーマ展、新収集品展、収蔵品展など、特定の...»
川越氷川祭は、毎年10月第3日曜日とその前日の土曜日に行われる埼玉県川越市の川越氷川神社の祭礼で、一般には川越まつりと呼ばれています。常陸國總社宮大祭(石岡のおまつり)・佐原の大祭と並び、関東三大祭りの一つと称されることが多いこの祭りは、2日間で80万人以上の人出を数える規模です。360年以上の歴史を持つこの祭事は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、2016年にはユネスコの無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」の一つとして登録されました。 祭りの起源と歴史 川越氷川祭の起源は、慶安元年(1648年)に遡ります。川越城主松平信綱が氷川神社に神輿2基と獅子頭・太鼓などの祭具を寄進し、江戸の天...»
川越まつり会館は、埼玉県川越市に位置する市立の郷土博物館です。川越市の観光名所「蔵造の町並み」にあり、川越まつりに関する資料の展示や伝統の保存を目的としています。2003年(平成15年)9月28日に開館し、建物は川越の蔵造りをイメージしたデザインとなっています。 川越まつりの魅力を体感 川越まつり会館では、実際に川越まつりで使用される本物の山車を2台展示しています。これらの山車は定期的に入れ替えられ、訪れるたびに新たな発見が楽しめます。山車の高さは約8メートルもあり、その大きさや華麗な幕、精巧な彫刻の迫力を間近で感じることができます。 囃子の実演と歴史資料 館内では、川越まつりの歴史資...»
埼玉県東松山市にある岩殿観音の呼び名で親しまれる正法寺は、真言宗智山派の寺院で、山号は巌殿山です。坂東三十三ヶ所第十番札所として、古来より信仰を集め、門前市をなした古刹です。 戦国時代には武田勢の松山城攻めの時の本陣が置かれたということです。推定樹齢700年を超える大イチョウをはじめ、歴史ある建物や美しい自然が調和し、多くの人々から親しまれています。 歴史 寺伝によれば、養老2年(718年)に沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興しました。源頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっています。室町時代には、西国、秩父と合わせて百観音札所として...»
埼玉県東松山市にある東松山ぼたん園は、約3万㎡の広大な敷地に、約5000株の牡丹が咲き誇る関東有数のぼたん園です。4月中旬から5月上旬にかけて開催される「ぼたんまつり」では、色とりどりの牡丹が園内を彩り、多くの人々を魅了します。 開園の歴史と背景 東松山ぼたん園は、市の花である「ぼたん」の普及活動の一環として、平成2年に開園しました。当初は「野田ぼたん園」としてスタートしましたが、1998年に大幅な拡張が行われ、現在の名前である「東松山ぼたん園」として親しまれるようになりました。現在では約150種類、約5000株の牡丹が植栽されており、関東有数の規模を誇ります。 市内にある著名な箭弓稲荷...»
埼玉県東松山市にある箭弓稲荷神社は、和銅5年(712年)の創建と伝えられる歴史ある神社です。五穀豊穣、商売繁盛、芸道向上、勝負の神様として広く信仰を集め、特に「やきゅう」の読み方から野球関係者の参拝が絶えません。社殿は、本殿・幣殿・拝殿からなる権現造の複合社殿で、関東地方において有数の規模を誇り、令和6年に国の重要文化財に指定されました。 歴史 箭弓稲荷神社の創建は和銅5年(712年)と伝えられます。平安時代には源頼信が白狐に乗った神から箭(や)と弓を授かる夢を見て戦に勝ち、感謝の意を込めて社殿を寄進したとされています。文化年間(1804年~1818年)には社殿の造営が計画され、天保6年(...»
埼玉県鶴ヶ島市脚折町にある白鬚神社は、古くから地域の人々に親しまれてきた神社です。全国にある白鬚神社の一つで、社殿の前には鮮やかな朱色の鳥居が立ち、訪れる人々を迎えます。鳥居をくぐると、樹齢900年を超えるケヤキなど、神聖で涼しい空気に包まれるのが特徴です。 特に、4年に一度行われる「脚折雨乞い」は、国の選択無形民俗文化財に指定されており、地域の伝統文化として大切にされています。 拝殿と周辺の風景 拝殿へ向かう道の左側には、今年の干支である虎の絵馬が数多く掛けられており、訪れる人々の祈りや願いが感じられます。拝殿で参拝を済ませた後、神社の裏手に回ると、埼玉県指定天然記念物である脚折のケヤ...»
埼玉県鶴ヶ島市脚折町にある善能寺は、真言宗智山派の寺院です。山号は安養山といい、地元では古くから親しまれている寺院です。特に、4年に一度行われる「脚折雨乞い」の際には、龍神が住職から祈願を受けます。 善能寺の歴史 善能寺の開山時期は明確ではありませんが、1596年(慶長元年)に栄慶によって中興開山されたと伝えられています。度重なる火災に見舞われましたが、現在の本堂は1843年(天保14年)に再建されました。また、境内にある薬師堂は享保年間(1716年 – 1735年)に建造され、堂内に安置されている薬師瑠璃光如来は12年に一度、寅年に御開帳されることで知られています。善能寺は中武蔵七十二薬...»
広がる癒しの空間広い内風呂や木の香り漂う露天風呂が楽しめる「玉川温泉」では、週ごとに入れ替わる男湯と女湯の入浴も楽しめます。東京都から最も近い里山の一つであるときがわ町に位置し、自然の息吹を感じさせる天然温泉を提供しています。 玉川温泉の特徴 天然温泉の魅力地下1700メートルの秩父古生層から湧き出る良質な本格温泉が自慢の「玉川温泉」。この温泉はアルカリ性単純温泉(ph10)で、つるつるとした肌触りが特徴です。昭和の時代にタイムスリップしたかのような雰囲気の中、のどかな里山の風景とともにゆったりとした時間を過ごすことができます。 昭和レトロな施設とアメニティ「昭(あきら)の湯」と「和(な...»
埼玉県比企郡吉見町にある吉見百穴は、古墳時代後期の横穴墓群として知られ、国の史跡に指定されています。200基を超える数の横穴が岩山に開けられ、その神秘的な光景は多くの人を魅了します。 埼玉県比企郡吉見町にある遺跡は、古墳時代の末期(6世紀末〜7世紀後半)に造られたもので、現在でも219基の横穴が現存しています。これらの横穴は丘陵や台地の斜面に掘削されており、墓として使用されていました。 吉見百穴の特徴 吉見百穴は、凝灰質砂岩の岩山に掘られた横穴墓群で、一見異様な景観を呈しています。穴の数は219個あり、日本国内でも最大規模の遺跡です。各横穴の入り口は直径約1メートル程度で、内部はやや広く...»
埼玉県嵐山町にある「千年の苑ラベンダー園」は、初夏になると約6.5ヘクタールの広大な敷地にグロッソ、ヒドコート、アボンビューなど、10種類以上、約20,000株のラベンダーが咲き誇り、訪れる人々を癒やしてくれます。 園の概要 千年の苑ラベンダー園は、埼玉県嵐山町のほぼ中央に位置し、約6.5ヘクタールに広がっています。都心から約1時間でアクセスできるため、手軽に訪れることができます。園内にはラベンダーだけでなく、5月下旬には赤やピンク、白のポピーエリアが広がり、6月中旬には一面が小麦色に染まるエリアもあります。 見どころとイベント 毎年6月上旬から下旬にかけて「らんざんラベンダーまつり」...»
埼玉県川越市にある大正浪漫夢通りは、古き良き日本の風情が色濃く残る、魅力的な商店街です。約200メートルの通りには、大正から昭和初期のレトロな建物が軒を連ね、まるでタイムスリップしたかのような不思議な体験ができます。今 概要 川越城の城下町として、戦に備えた緩やかなカーブが特徴で、約200メートルの通りの両側には大正から昭和初期のレトロな店舗が約30軒並んでいます。特に、関東大震災以後に流行した看板建築の洋風店舗や町屋造りが多く残っています。通りの北の入り口には、ドーリア式列柱が並ぶ重厚な旧武州銀行川越支店(現・川越商工会議所)の洋館もあります。御影石の石畳など、古き良き大正ロマンの香りが...»
埼玉県川越市にある大沢家住宅は、江戸時代から続く蔵造りの町家です。明治26年(1893年)の川越大火を奇跡的に免れたこの建物は、川越の街並みが形成される上で重要な役割を果たしました。現存する関東地方最古の蔵造りでもあり、国の重要文化財に指定されています。 歴史 この住宅は、寛政4年(1792年)に近江国出身で呉服太物の近江屋を営んでいた豪商・西村半右衛門によって建てられた蔵造りの店舗建築です。川越大火で例外的に焼失を免れたことから、川越商人が蔵造りの町家を次々に建設する契機となりました。昭和46年(1971年)に国の重要文化財の指定を受け、平成元年(1989年)より5年間を費やし大規模な修...»
埼玉県川越市にある喜多院は、天台宗の寺院で、川越大師の別名で知られています。山号は星野山(せいやさん)といい、良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀る霊場として知られています。建物の多くが重要文化財に指定され、寺宝には貴重な美術工芸品が数多く存在します。広大な境内は、池や堀を巡らせた景勝地としても知られています。 江戸時代には徳川家との深い関わりを持ち、1612年、徳川家康の信任を得た天海僧正が住職となってから、喜多院は大いに栄えました。1638年に川越大火によって喜多院のほとんどが焼失しましたが、3代将軍家光が江戸城から「家光誕生の間」「春日局化粧の間」を移築しました。日本三大羅漢の一つに数え...»
埼玉県川越市にある熊野神社は、地名を冠して川越熊野神社とも呼ばれ、開運・縁結びの神様として、地域の人々に親しまれている神社です。室町時代に紀州熊野本宮大社から分祀され、古くから人々の信仰を集め、現在も多くの参拝者が訪れます。 御祭神 川越熊野神社の御祭神は熊野大神で、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉册命(いざなみのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)の四神です。毎月第3日曜日には、「銭洗弁財天縁日」が行われます。 神社の創建と歴史 川越熊野神社は、天正18年(1590年)に蓮馨寺の然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことに始まります。以来、開...»
埼玉県志木市にある「旧村山快哉堂」は、明治時代に建てられた木造2階建ての土蔵造りの薬局および建築物です。現在は、志木市指定有形文化財として、市民に親しまれています。江戸時代から続く伝統的な薬屋の佇まいと、当時の暮らしを垣間見ることができる貴重な建物です。 概要 明治10年(1877年)11月に建築された木造2階建て土蔵造りの店蔵です。平成7年(1995年)に一度解体された後、平成13年(2001年)にいろは親水公園村山快哉堂ひろばに移築復元されました。 建築の特徴 この店蔵は、座売り形式の商形態を残している点が特徴的です。また、一階中央部分の吹き抜けや鉢巻の2段構成、ムシコ窓とその枠回...»
埼玉県ふじみ野市にある福岡河岸記念館は、江戸時代から明治にかけて栄えた回漕問屋「福田屋」を保存・公開した施設です。新河岸川舟運の賑わいを今に伝える貴重な建物と、当時の暮らしを再現した展示が見どころです。市指定有形文化財であり、埼玉県の景観重要建造物第1号にも指定されています。 江戸の面影を残す「福岡河岸記念館」 福岡河岸記念館は、江戸と川越を結ぶ新河岸川舟運の船着場であった福岡河岸に位置しています。ここには、江戸後期に開業し、明治中期まで栄えた回漕問屋福田屋があり、その建物を利用して公開されています。記念館では、舟運と問屋の生活を展示し、歴史的な文化財として保存・公開しています。 福田屋...»
埼玉県川越市にある仙波東照宮は、徳川家康(東照大権現)を祀る神社として知られています。日光東照宮、久能山東照宮と並び、日本三大東照宮の一つに数えられ、その荘厳な姿は多くの人々を魅了しています。 歴史 元和2年(1616年)に徳川家康公が薨去し、元和3年(1617年)にその遺骸が久能山から日光山に改葬される際、天台宗の僧侶・天海によって喜多院で法要が行われました。この際、後水尾天皇から「東照大権現」の勅額が下賜され、同年に天海によって仙波東照宮が創建されました。1638年(寛永15年)の川越大火で焼失しましたが、徳川家光の命により川越藩主の堀田正盛が造営奉行に任命され、幕府の手によって再建さ...»
埼玉県川越市に鎮座する川越八幡宮は、平安時代の武将で「源氏」の祖とされる源頼信が創建した由緒ある神社です。古くから地域の人々に親しまれ、数々の歴史と伝統を今に伝えています。 祭神 川越八幡宮の主祭神は以下の神々です。 誉田別命(ほんだわけのみこと) 倉稲魂神(うがのみたまのかみ) 歴史 川越八幡宮は、1030年(長元3年)に甲斐守 源頼信によって創建されました。源頼信は平忠常の乱を平定する祈願をこの地で行い、戦勝に感謝して当神社を創祀しました。その後の歴史的な出来事を以下に示します。 1457年(長禄元年):川越城が築城された際に、太田道灌が当神社の分霊を城内の守護神...»
埼玉県にある「山吹の里歴史公園」は、室町時代の武将、太田道灌にまつわる美しい伝説が残る場所です。春風に揺れながら黄金色に輝く約3000株のヤマブキが咲き誇り、水車小屋とマッチし、風流な趣を醸し出しています。「七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだに無きぞかなしき」の和歌で有名な太田道灌ゆかりの地です。 太田道灌と山吹の逸話 太田道灌が鷹狩りの途中、にわか雨に遭った際に蓑を借りようと貧しい民家を訪ねたところ、一枝の山吹を差し出されたという逸話が残っています。少女が伝えたかったのは「蓑がない」ということを「七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだに無きぞかなしき」という古歌に託したものでした。こ...»
埼玉県越生町にある五大尊つつじ公園は、春になると約10,000株のツツジが咲き誇り、まるで五色の絨毯を敷き詰めたような美しい風景が広がることで知られています。樹齢300年を超える古木も数多く残されており、歴史と自然が融合した貴重な公園です。 公園の歴史と名前の由来 この公園は、木造五大明王像が祀られていたことからその名が付けられました。五大尊の境内には、樹齢約300年を超える古木が多く残っており、歴史的な価値も高い場所です。 広大な公園と多様なツツジ 五大尊つつじ公園は、約3ヘクタールの広さを誇ります。この公園には、斜面を埋め尽くすように10数種類(オオムラサキ・ヤマツツジ・リュウキュ...»
埼玉県嵐山町にある武蔵嵐山渓谷は、岩畳と清流が織りなす美しい景観で知られる、豊かな自然を誇る埼玉県を代表する景勝地の一つです。特に大平山から伸びた細原と呼ばれる場所では、流路が大きく180度転じて半島状の独特な地形を形成しています。 この地形は渓谷と周囲の赤松林の美しい景観を作り出しており、訪れる人々を魅了しています。景観が京都の「嵐山」に似ていることから、日本初の林学博士である本多静六博士が「これは武蔵国の嵐山だ」と名付けました。これが嵐山町という町名の由来となりました。 季節ごとの楽しみ方 初夏には新緑と川の流れる音、鳥のさえずりが響き、都心から1時間とは思えない美しい景色を楽しむこ...»
埼玉県比企郡川島町に佇む遠山記念館は、日興証券創設者・遠山元一の邸宅と、遠山元一が収集した美術工芸品を公開する博物館です。国の重要文化財に指定された歴史的な建造物と、貴重な美術品のコレクションが調和し、訪れる人に豊かな文化体験を提供しています。 設立の経緯 遠山記念館は、川島町出身で日興證券(現SMBC日興証券)の創立者である遠山元一の遺志に基づいて設立されました。国の重要文化財である建造物の保存・公開とともに、重要文化財6点を含む美術工芸に関する資料の公開を行い、文化および芸術の振興を目的としています。 遠山家住宅の歴史 遠山邸は、埼玉県比企郡川島町ののどかな田園風景の中に静かに佇ん...»
埼玉県川越市にある養寿院は、山号は青龍山と称され、鎌倉時代から続く由緒ある寺院です。源義経ゆかりの寺としても知られ、歴史的な文化財を数多く所蔵しています。本稿では、養寿院の歴史、文化財、そして周辺との関わりについて詳しく解説します。 歴史 養寿院の創建 寛元二年(1244年)、河越氏の当主である河越経重が開基となり、大阿闍梨円慶法師が開山した寺です。当初は密教の道場として開かれましたが、天文4年(1535年)に天台宗から曹洞宗に改宗されました。徳川家康が関東に入国した際には、家康から御朱印十石を賜り、鷹狩りの際にも立ち寄ったと伝えられています。 河越氏との関わり 河越氏は平安末期にこ...»
埼玉県川越市に佇む旧山崎家別邸は、大正時代に建てられた豪邸です。和洋折衷の建築様式と美しい庭園が特徴で、近代日本の住宅文化を語る上で重要な文化財として、2019年には母屋が国重要文化財に指定されました。 建築の経緯 この別邸は、川越の老舗菓子屋「龜屋」の五代目である山崎嘉七氏の隠居所として、大正13年(1924年)に建てられました。設計は保岡勝也が担当し、和洋折衷の建築と風情ある庭園が特徴です。平成12年には主屋・茶室・腰掛待合が市指定有形文化財となり、平成18年には建物部分が市へ寄贈されました。平成23年には庭園が国登録記念物(名勝地)に登録され、令和元年には母屋が国重要文化財(建造物)...»
埼玉県比企郡川島町に位置する廣徳寺は、鎌倉時代から続く由緒ある寺院です。山号は大御山で、院号は西福院となっています。本尊は五大明王です。室町時代に再建された大御堂は、その荘厳な姿と歴史的価値から、国の重要文化財に指定されています。 歴史と背景 廣徳寺は、室町時代に建立された数少ない茅葺屋根を持つ建物の一つで、国の重要文化財に指定されています。寺院の裏には古墳があり、大きな板碑も祀られています。鎌倉時代の初めに、北条政子によって御本堂・大御堂が建立されました。現在の大御堂は室町時代の再建によるものです。 創建の経緯 広徳寺は、「平家物語」にも登場する源頼朝の家臣、三尾谷(水尾谷)広徳によ...»