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秩父神社

(ちちぶじんじゃ)

徳川家康による寄進の社殿、日本三大曳山祭の例祭

秩父地方に位置する総社で、2000年の歴史を持つ古社です。この社は左甚五郎の彫刻で知られており、「つなぎの龍」と「子育ての虎」の彫刻が特に有名です。

社殿は徳川家康によって再建され、本殿・幣殿・拝殿が1つにまとめられた権現造りの形式です。毎年12月2日・3日には秩父夜祭が開催され、この祭りは秩父神社の例大祭として知られています。

秩父地方の総鎮守

秩父神社は、秩父地方の総鎮守であり、秩父三社の一つとして知られています。荒川の河岸段丘上に位置し、秩父市街地の中心部に鎮座しています。この神社は「秩父夜祭」という12月の例祭で有名であり、その行事は「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産に登録されています。

伝説によれば、崇神天皇の時代に初代の知知夫国造である知知夫彦命が八意思兼命を祀ったことから始まったとされています。秩父神社は武州六大明神の一つとされ、東京都府中市にある大國魂神社でも祀られています。大國魂神社の例大祭では、秩父神社の神輿も巡行されます。

江戸時代には徳川家康の命により現在の社殿が建てられ、左甚五郎作と伝えられる「子宝・子育ての虎」や「つなぎの龍」などの彫刻が施されました。これらの彫刻は社殿に飾られています。

秩父夜祭は毎年12月に行われ、京都の祇園祭や飛騨の高山祭とともに日本三大曳山祭及び日本三大美祭に数えられています。この祭りは観光客にも人気であり、多くの人々が訪れます。

創建

秩父神社の社殿と参道の南側には、武甲山(時代によって武光山、秩父嶽、妙見山などと呼ばれる)があります。かつてこの地は、武甲山を神奈備として遥拝する聖地と考えられていました。

『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、知知夫彦命は崇神天皇(第10代天皇)の時代に初代知々夫国造に任命され、「大神を拝祠」したと伝えられています。この「大神」とは、知知夫彦命の祖先である八意思兼命を指すとされています。秩父神社ではこれを神社の創建とみなしています。また、知知夫彦命の九世の子孫である知知夫狭手男が、允恭天皇の時代に知知夫彦命を合わせて祀ったとも言われています。

地域の名前である「秩父」が付けられるようになった時期は明確ではありませんが、708年に初めて「秩父」という表記が見られるようになったとされています。

概史

古代から近世

律令制度の崩壊により、秩父神社を支えてきた豪族の力が弱まるとともに、当社も次第に衰退していきました。その後、妙見社が現れました。

社記や『風土記稿』によれば、天慶年間(938年-947年)に平将門と常陸大掾・鎮守府将軍平国香が上野国染谷川で戦った際、国香を支援した平良文が花園村の妙見菩薩の加護を受けて将門の軍勢を撃退しました。以来、良文は妙見菩薩を深く信仰し、後に秩父に移り住んだ際、花園村から妙見社を勧請しました。これが秩父の妙見社の起源とされています。

その後、良文は下総国に移り住みました。下総での彼の子孫は妙見菩薩を祭る千葉神社を建立しました。一方、秩父に土着した子孫は秩父平氏と呼ばれる武士団を形成しました。

鎌倉時代には社殿が雷によって焼失し、再建の際に妙見菩薩を秩父神社に合祀しました。この時、秩父三十四箇所の旧15番札所である母巣山蔵福寺(現在は廃寺)が秩父神社の別当寺として管理しました。以降、「妙見宮」として栄え、延喜式に記載された本来の「秩父神社」よりも「秩父大宮妙見宮」という名称がよく知られるようになりました。

江戸時代の絵図では、境内の中央に妙見社があり、その周りには天照大神宮・豊受大神宮・神宮司社(知知夫彦とも記される)・日御碕神社の4つの祠が配置されていました。神宮司社は秩父神社の衰退した姿であり、江戸時代中期の儒者である斉藤鶴磯は「武蔵野話」の中で、この神宮司社について「この神祇は地主にして妙見宮は地借なるべし。(中略)妙見宮は大祠にして秩父神祠は小祠なり。諺にいへる借家を貸しておもやをとらるるのたぐひにて、いづれ寺院神祇には、えてある事なり」と評しています。

近代以降

明治の神仏分離により、妙見菩薩と融合していた天之御中主神を祭神とし、社名も本来の「秩父神社」に戻しました。鳥居の扁額では「知知夫神社」と表記されています。現在でも護符などで妙見信仰の痕跡が残っています。

1884年(明治17年)の秩父事件では、困民党軍が境内に集結しました。

全国の一宮や同等の神社の祭神を祀る天神地祇社が摂末社として存在し、全国一の宮が加盟する「全国一の宮会」によって2006年に「知知夫国新一の宮」と認定されました。

社殿

社殿は徳川家康によって再建され、本殿・幣殿・拝殿が1つにまとめられた権現造りの形式です。左甚五郎の彫刻で知られており、「つなぎの龍」と「子育ての虎」の彫刻が特に有名です。境内の社叢は柞乃杜(ははそのもり、母巣の森)と呼ばれています。

本殿

本殿は天正20年(1592年)9月に徳川家康が社領57石を寄進し、代官である成瀬吉右衛門に建造させたもので、権現造りの美しさは県下でも代表的なものとされています。社宝である神輿は、現存する県下最古のもので、室町時代末期の作と伝えられます。

また、本殿と共に伝えられた棟札には、永禄12年(1569年)に武田信玄の侵攻によって旧社殿が焼失し、家康公の関東入国をもって再建された次第が記されており、共に埼玉県の有形文化財に指定されています。

子宝 子育ての虎

秩父神社は永禄12年(1569年)戦禍により焼失の後、徳川家康の力により天正20年(1592年)に再建されました。当社の社殿正面にも四面にわたって虎の彫刻が施されています。特に拝殿正面左より二つめの子虎とたわむれる「子宝 子育ての虎」の彫刻は、名工 左甚五郎が家康の威厳とご祭神を守護する神使として彫ったものと伝えられています。

つなぎの龍

その昔、秩父観音霊場札所十五番である少林寺の近くの天ヶ池に住みついた龍があばれた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことから、この彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝えられています。この彫刻こそ、伝説に語られた「つなぎの龍」の姿です。名工 左甚五郎が社殿彫刻に施したものと思われます。

お元気三猿

三猿といえば日光東照宮が有名ですが、同じ徳川家縁りの御社であるにも拘わらず、秩父神社の三猿は日光とまったく違った表情をしています。日光が古来の庚申信仰にちなんで、「見ざる・言わざる・聞かざる」なのに対し、秩父神社の三猿は「よく見て・よく聞いて・よく話す」お元気三猿として親しまれています。

北辰の梟

本殿北側の中央に彫刻された梟は「北辰の梟」といって、体は正面の本殿に向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わず祭神をお守りしています。

祭事

秩父神社では年間を通じて様々な祭事が行われています。以下はその一部です。

御田植祭(4月4日)

毎年4月4日に行われる御田植祭は、五穀豊穣を祈る神事です。

秩父川瀬祭(7月19・20日)

秩父川瀬祭は、境内社の日御崎神社の祭であり、江戸時代に京都の八坂神社の祇園祭が秩父に入ってきたことに由来します。幕末・明治から付祭として屋台・笠鉾も曳かれるようになり、現在では8基の屋台・笠鉾を曳く祭りとなっています。

7月19日(宵宮)には天王柱立神事、お水取り神事が行われ、7月20日には川瀬神事が執り行われます。

番場町諏訪神社祭礼(9月27日)

番場町諏訪神社祭礼は有名ではありませんが、古い文献によると川瀬祭よりも重要性が高かったと考えられています。数年に一度(不定期)、諏訪大社の御柱祭にならって御柱を曳く行事も行われます。

例祭(秩父夜祭、12月1日-6日)

秩父夜祭は12月1日から6日までの6日間行われ、「六日市」とも呼ばれます。この祭りは絹の取引で栄え、旧暦11月3日に行われていたため霜月大祭とも称されていました。武甲山(旧 武甲山蔵王権現社、現 武甲山御嶽神社)の男神(神話では蛇もしくは竜神、神仏習合後は蔵王権現)と秩父神社・母巣の森の女神(神仏習合後は妙見菩薩)が1年に1度の逢瀬を楽しむ祭りとされています。祭自体は秩父神社の創建から存在した可能性が高いといわれており、寛文年間ごろから付祭として屋台・笠鉾が曳かれるようになりました。

文化財

秩父神社は多くの文化財を有しています。その一部を以下に紹介します。

重要無形民俗文化財(国指定)

秩父祭の屋台行事と神楽 - 1979年(昭和54年)2月3日指定。

秩父祭屋台 6基 - 1962年(昭和37年)5月23日指定。 中近笠鉾、下郷笠鉾、宮地屋台、上町屋台、中町屋台、本町屋台

選択無形民俗文化財(国選択)

秩父神社神楽 - 1975年(昭和50年)12月8日選択。

埼玉県指定文化財

有形文化財

社殿(附 天正20年の棟札 1枚・神輿 1基 )(建造物) - 神輿は室町時代のもので、埼玉県最古。1955年(昭和30年)11月1日指定。

秩父神社文書 9点(歴史資料) - 1973年(昭和48年)3月9日指定。

無形民俗文化財

秩父神社御田植祭 - 2009年(平成21年)3月17日指定。

天然記念物

秩父神社柞の森のブッポウソウ - 1960年(昭和35年)3月1日指定。

秩父市指定文化財

有形文化財

刀剣脇差(工芸品) - 1961年(昭和36年)1月9日指定。

史跡

秩父神社大祭御旅所 - 1954年(昭和29年)11月3日指定。

有形民俗文化財

秩父祭笠鉾・屋台旧部品 - 1983年(昭和58年)10月5日指定。 下郷笠鉾・宮地屋台・上町屋台・中町屋台・本町屋台

妙見塚(附 幟旗2枚) - 2003年(平成15年)1月24日指定。

川瀬祭笠鉾・屋台 8基 - 2008年(平成20年)3月25日指定。 番場屋台、宮側屋台、東町屋台、熊木笠鉾、道生笠鉾、上町笠鉾、中町笠鉾、本町屋台(夏)

ユネスコ無形文化遺産

秩父祭の屋台行事と神楽(山・鉾・屋台行事) - 2016年(平成28年)12月1日登録。

Information

名称
秩父神社
(ちちぶじんじゃ)
リンク
公式サイト
住所
埼玉県秩父市番場町1-13
電話番号
0494-22-0262
営業時間

6:00~20:00

定休日

年中無休

料金

無料

駐車場
無料 30台
アクセス

秩父鉄道「秩父駅」下車 徒歩約3分

関越自動車道「花園」ICより約45分

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