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都幾山 慈光寺

(ときさん じこうじ)

国宝など数々の文化財を有する、大寺院として栄えた古刹

埼玉県比企郡ときがわ町にある慈光寺は、山号は都幾山、院号は一乗法華院と称される、天台宗の古刹です。坂東三十三観音霊場 第九番札所として知られています。1300年以上の歴史を持ち、数々の文化財を有する慈光寺は、古都鎌倉や日光山と並び称されるほどに栄えた寺院です。

歴史

慈光寺は県内最古の寺で、673年(天武天皇2年)に飛鳥時代の僧である釈道忠によって開かれました。鎌倉時代には畠山重忠や源頼朝が篤く帰依し、その信仰が深まりました。都幾山麓から参道を登る途中には8基の大型青石塔婆があり、さらに進むと古い伽藍が見えてきます。

鎌倉時代には畠山重忠や源頼朝が篤く帰依し、その信仰が深まりました。都幾山麓から参道を登る途中には8基の大型青石塔婆があり、さらに進むと古い伽藍が見えてきます。覆堂に入った開山塔、鐘楼などがあり、蔵王堂と釈迦堂は1985年(昭和60年)に焼失しましたが、その奥には本堂(阿弥陀堂)や観音堂が立ち、本尊である十一面千手千眼観世音菩薩像が安置されています。

本堂(阿弥陀堂)前には、慈覚大師円仁が植えたとされる樹齢1100年余のタラヨウジュ(多羅葉樹)が青々と茂り、県の天然記念物に指定されています。

本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか
ご詠歌:聞くからに大慈大悲の慈光寺 誓いも共に深きいわどの

創建

寺伝によれば、白鳳2年(673年)に僧慈訓が千手観音堂を建立し、観音道場として開基しました。その後、役小角が来山し、西蔵坊を建立して修験の道場としたことに始まるとされています。

本尊

十一面千手千眼観世音菩薩像が本尊として祀られており、その信仰は深いです。

文化財

慈光寺には貴重な文化財が多くあります。その中でも特に注目すべきは国宝として指定されている法華経一品経、阿弥陀経、般若心経の33巻です。

国宝

法華経一品経(日本三大装飾経の一つ)

鎌倉時代の作品であり、昭和29年(1954年)に指定されました。鎌倉時代初頭につくられた三大装飾経の掉尾を飾る優婉華麗な名品です。九条家ゆかりひとびとを中心に、後鳥羽上皇も加わって書写された装飾経で、慈光寺経とも呼ばれています。

法華経二十八品29巻、無量義経1巻、観普賢経1巻、阿弥陀経1巻、般若心経1巻の計33巻と文永7年の筆者目録1巻、寛政2年の補写目録1巻を含めて国宝となっています。京の都にあって貴族文化の中枢にいた九条家ゆかりの品であり、金銀の砂子や箔をちりばめた豪華なつくりとなっています。

華麗な王朝文化を今に伝える品として、平家納経、久能寺経と並んで三大装飾経のひとつに数えられています。鎌倉幕府の支援者であった九条家、そして鎌倉幕府と慈光寺、その三者のつながりから慈光寺へ 奉納されたものと指摘されています。

重要文化財

埼玉県指定文化財

埼玉県指定天然記念物

源頼朝と慈光寺

慈光寺は比企氏の棟梁である源頼朝に深く尊信された寺院でした。文治5年(1189年)、頼朝は奥州征伐の勝利を慈光寺に祈願し、日頃信心している愛染明王像を贈り、別当厳耀並びに衆徒らに勝利を祈祷させるよう命じています。吾妻鏡によれば、頼朝は治承3年(1179年)3月2日に安達盛長を御使として、御署名入りの洪鐘を鋳造して伊豆国より寄進したと記されています。

鎌倉時代の栄華と衰退

鎌倉時代には源頼朝をはじめとする武家の帰依を受け、その繁栄が続きました。建久2年(1191年)には頼朝から寺領1200町歩が寄進され、その後も臨済宗の祖・栄西禅師の高弟栄朝禅師が霊山院を創建し、禅道場が開かれました。しかし、戦国時代には僧兵を傭い、近隣の城主との抗争に明け暮れましたが、太田道灌らによって焼き討ちに遭い、栄華を誇った寺院も衰運をたどることになりました。

江戸時代の再興

江戸時代になると、慈光寺は徳川将軍家の信仰を受け、寺領百石が与えられました。特に3代将軍家光の室桂昌院の信仰が厚く、奉納された貴重な品々が今に残されています。

現在の慈光寺

今日、慈光寺は比企山中の木立深き静かな寺として、坂東三十三観音霊場第九番札所の巡礼者を迎え、また週末にはマイカーで訪れる現代の人々の憩いの場となっています。

Information

名称
都幾山 慈光寺
(ときさん じこうじ)

秩父・長瀞

埼玉県