埼玉県秩父市黒谷に鎮座する聖神社は、日本最古の貨幣「和同開珎」誕生の地として知られる由緒ある神社です。西暦708年、この地で発見された自然銅をきっかけに、和銅改元が行われ、日本の貨幣史がスタートしました。聖神社は、この歴史的な出来事と深く結びついており、金運の神様として多くの人々に信仰されています。
秩父盆地の中央部やや北寄りに聳える簑山から南西にかけて延びた支脈である和銅山山麓に位置し、簑山を水源とする川が流下する社前は和銅沢(旧称銅洗沢)と称されています。
社伝によれば、元明天皇の慶雲5年(708年)に秩父で日本で初めて高純度の自然銅(ニキアカガネ)が産出し、慶雲5年(708年)正月11日に朝廷に献上されました。天皇はこれを喜び、年号を同日に慶雲から「和銅」と改元し、日本初の流通貨幣である和同開珎を鋳造しました。
当地で自然銅の発見を祈念して和銅沢上流の祝山に神籬を建て、この自然銅を神体として金山彦命を祀りました。後に三宅麻呂らが勅使として当地へ派遣され、共に盛大な祝典を挙げました。
和銅元年(708年)2月13日に現在の地に神籬を遷し、和銅13塊を内陣に安置し、金山彦命と国常立尊、大日孁貴尊、神日本磐余彦命の4柱を神体としました。後に元明天皇を元明金命として合祀し、「父母惣社」と称しました。
聖神社は自然銅採掘地の近くにあり、「銭神様」としても知られ、金運の神様・銭神様として親しまれています。パワースポットとしても注目され、和同開珎ゆかりの神社として多くの参拝者が訪れます。
和銅元年(708年)2月13日、現在の地に遷座し、聖神社が創建されました。オホヒルメムチノミコト(天照大神)、クニトコタチノミコト(国常立尊)、カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)が併せ祀られています。養老6年(722年)11月13日には元明天皇を元明金尊として合祀し、秩父の総社と称されました。
聖神社の社殿は、創建以来数度の改築があり、現在に残るのは文化4年(1807年)8月再建のものです。昭和38年(1963年)には、秩父市中町の今宮神社本殿から移築改修され、旧本殿は脇に移されました。現在の社殿は一間社流造りの本殿と入母屋造りの礼拝殿からなり、江戸中期宝永6~7年(1709~10年)の建築で、大宮郷の工匠大曽根与兵衛によって建立されました。彫刻は桃山期の遺風をわずかに残し、活気に満ちたものです。「聖神社の社殿」として秩父市指定有形文化財になっています。
和銅石と銅製蜈蚣(むかで)
御神宝の和銅石二個と、元明天皇御下賜の雌雄一対の銅製蜈蚣は、和同開珎(銅銭)、旧記一巻、聖宮記録等と共に、境内の宝物殿に収納されています。
献上された銅と同じ自然銅を御神体として聖明神社は創建されましたが、その当時あった13個のうちの2個がこの和銅石と伝えられています。大きい方が17.6kg(四貫七〇〇匁)、小さい方が0.48kg(一二八匁)で、共に最高の純度です。
蜈蚣(百足)は、百官に代えて参列という意味が込められており、銅の採掘穴を百足穴と呼ぶことに由来しています。百足が繁殖するように鉱業も長く栄えることを祈ったとも考えられています。百足は聖神社のご眷属として大事にされています。雄は長さ13.9cm、足20対、雌は長さ14.4cm、足22対です。
伝説によると、黒谷の獅子舞は左甚五郎が黒谷の地に立ち寄り、竜頭を刻んで聖大明神(聖神社)に奉納したことに始まると言われています。元禄の末年、各地に獅子舞が流行した際、この竜頭を模して獅子頭を刻みました。大畑の伊左衛門という人が三河国岡崎から師匠を招き、15種の舞を伝授されたと言います。そこから岡崎下妻流と名付けられました。
また、文政初年の頃、秩父地方は日照り続きで困り果て、雨乞いの手を尽くしました。その際、秩父代官の御陣屋から黒谷獅子舞連中に妙見様(現秩父神社)で雨乞い簓をするように命じられました。竜頭を先頭に瓢箪廻しという簓を舞ったところ、たちまち大雨が降り出しました。この雨乞い簓が成功し、黒谷の獅子舞は「雨乞い簓」とも呼ばれるようになりました。現在も郷土の芸能として受け継がれ、聖神社の大祭に奉納されるほか、各地で披露されています。
聖神社に祀られている神々は、金山彦命、国常立尊、大日孁貴尊(天照大神)、神日本磐余彦命(神武天皇)の4柱です。さらに元明金命(元明天皇)も合祀されています。境内石碑には「当社はこの歴史的由緒ある自然銅を主神として祀り、金山彦命、元明金命を合祀し…」と記されています。
和同開珎ゆかりの神社として「銭神様」とも呼ばれ、金運隆昌を願う参拝者が多く訪れます。
聖宮記録控(北谷戸家文書)によると、内陣に納めた神体石板2体、和銅石13塊、百足1対は紛失を防ぐため、寛文年間から北谷戸家の土蔵にて保管されていました。1953年(昭和28年)の例大祭に 、北谷戸家から石板2体と和銅石、百足1対が寄贈されました。昭和38年には、奉賛会が発足し、元宮(奥宮)を創建して和銅露天掘跡の一角に鎮座しました。1963年には社殿を改築し、現在の聖神社の姿となりました。