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金鑚神社

(かなさな じんじゃ)

本殿を持たず神体山とする、古代からの信仰が息づく

金鑚神社は、埼玉県児玉郡神川町に位置する歴史ある神社です。式内社(名神大社)であり、武蔵国五宮に数えられる名高い神社で、現在は神社本庁の別表神社として認識されています。周囲には豊かな自然が広がり、静かで厳かな雰囲気が漂っています。

神体山と御室山

金鑚神社は、関東平野の西縁、埼玉県北西部の御獄山(標高343.4メートル)山麓に位置し、社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀るため、一般的な本殿が存在しません。この形式は、古代の信仰を今に伝えるものであり、全国でも長野県の諏訪大社と奈良県の大神神社にしか見られない珍しいものです。ヤマトタケルノミコトが東征の際に使用した火打ち金を御室山に納めたことが起源とされています。

社名の由来

社名「金鑚(かなさな)」は、「砂鉄」を意味する「金砂(かなすな)」が転訛したものと考えられています。この地域では、刀の材料となる良質な砂鉄が産出され、御嶽山からは鉄が得られたという伝承があります。また、砂鉄の採集地である「鉄穴(かんな)」に由来する説もあります。

祭神

金鑚神社の主祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)であり、日本武尊(やまとたけるのみこと)が配祀されています。神道集では「金鑚大明神」として記され、本地仏は弥勒菩薩とされています。

歴史

創建と起源

社伝によれば、日本武尊が東征の際、伊勢神宮で授けられた火打ち金を御室山に御霊代として納め、天照大神と素戔嗚尊を祀ったことが創建の始まりとされています。元々の社殿は現在の社地の南約400メートルにあったとされ、その地から御室山を遥拝していたと伝えられています。

重要文化財と特別天然記念物

金鑚神社の境内には、多くの文化財が存在します。特に室町時代後期に建立された多宝塔は国の重要文化財に指定されています。また、御嶽山の中腹にある「鏡岩」は、その特殊な地質学的価値から国の特別天然記念物に指定されています。

多宝塔

多宝塔は、天文3年(1534年)に建立され、方三間の杮葺、初層方形、上層円形平面の二重塔婆で、その高さは13.8メートルにも及びます。心柱の墨書には「天文三甲午八月晦日、大檀那阿保弾正全隆」として、天文3年に阿保全隆から寄進された旨が記され、建立時期が明確で、当地付近を拠点とした阿保氏(安保氏)との関連を物語る重要な遺構となっています。

鏡岩

鏡岩は、その名の通り鏡のように平滑な表面を持ち、約1億年前の断層活動によって形成されたとされています。岩質は赤鉄石英片岩で、岩面の長さは約4メートル、幅は約9メートルです。表面には摩擦による光沢が見られます。中世の防備や高崎城の伝承にも関連があり、歴史的な価値が高い場所です。

御嶽城の歴史

御嶽城(みたけじょう)は、かつて御嶽山にあった山城で、南北朝時代に長井実永によって築かれたとされています。その後、安保氏に引き継がれましたが、享徳3年(1454年)には成田氏によって攻略されました。現在でも城の土塁や堀の一部が残されており、歴史的な価値があります。

摂末社と祭事

金鑚神社には多くの摂末社が存在し、その中には奥宮や境内末社、境外社の元森神社などが含まれます。年間を通じて様々な祭事が行われており、特に例祭や火金鑚祭などが有名です。

文化財と考証

金鑚神社には、六国史に記録された「金佐奈神」という神階奉叙の記録があり、正六位上から従五位下に昇進したことが確認されています。また、埼玉県児玉郡における最古級の古墳との関連から、『魏志倭人伝』に記述される「華奴蘇奴国」の中心地とする説もあります。

Information

名称
金鑚神社
(かなさな じんじゃ)

秩父・長瀞

埼玉県